7月30日(火)「経営革新」支援セミナーを開催、県内各地から30名が参加。静岡県経済産業部の経営革新班の担当により、制度の概要、事業の新規性、他社との差別化、計画策定のポイント、支援策の内容等の説明がありました。

主催した経営労働委員会は今後の活動として、経営革新取得企業の実践報告会を検討。経営指針成文化後に、挑戦する企業を後押ししていくことが確認されました。

 

 

会場風景

 

2013年7月18日(木)富士市交流センターにて富士支部7月例会が開催されました。

テーマは「新会員さんDOYU会社?」で、毎年恒例の企画です。昨年度は新入会員が多かったため、2か月連続で新入会員紹介例会を行うことになりました。

今月の報告者は、佐野純也氏(㈱山十佐野製作所)、片平毅氏(㈱ティーケーシステム)、佐野涼子氏(㈲佐野商会)、石川久夫氏(㈱クリエイティブ)の4名でした。

佐野純也氏は富士市厚原字八反田にて金属のロール曲げ加工を行っています。「厳しい業界でも生き残っていける 会社にするために、良い経営者になりたいです」と同友会への抱負を語りました。

片平毅氏は静岡市清水区庵原町、沼津市大諏訪、富士市元町にて、コンピューター販売(ハード、ソフト)、システム開発、サポート保守を行っています。「現在の課題は後継者をいかに育てるかです。同友会にも参加させていきたいです」と課題をかたりました。

佐野涼子氏はセブンイレブンを4店舗経営しています(宮原店、北山店、上井出店、朝霧高原店)。「亡き父の希望だった5号店をオープンさせることが今の目標です」と目標を語りました。

石川久夫氏は富士市伝法に本社があり、福祉施設へ調理師を派遣しています。「会社の進むべき方向を見失わないように、同友会で経営理念の勉強をしたいです」と語りました。

佐野純也氏

片平毅氏

佐野涼子氏

石川久夫氏

 

「情勢を切り開く強じんな企業づくりを地域に広げよう」をメインテーマに、中同協定時総会が神話・ロマンのふるさと宮崎で開催されました。全国各地から代議員950名が参加、二日間ともグループ討論を実施し熱気あふれる大会となりました。

一日目は全17分科会で、議案方針を深める学び。二日目は、企業づくりを加藤明彦氏、地域づくりを中村高明氏、同友会づくりの問題提起を広浜泰久氏が行い、全参加者による大グループ討論会。二日目のまとめで広浜中同協幹事長は、「同友会運動のすべてを企業づくりと自身の成長につなげ、お客様に必要とされ、社員を幸せにできる会社にしよう。会のよさを内外に伝え、地域がよくなる活動を全国各地に広げていこう。」と語りました。

 

 

第9分科会「中小企業憲章制定3年、今後の推進運動をどう強めるか」~日本経済再生と大震災復興に憲章の理念を生かす~と題し、杉村中同協憲章条例推進本部副本部長、田村岩手同友会代表理事・高田自動車学校、吉田駒澤大教授の3氏が報告。おひとりずつの報告時間は短かったものの、今後各県同友会で進めていく道筋を示してもらう分科会となりました。

 

 

7月9日(火)三島商工会議所で三島支部7月例会が行われ、㈲ゼロの柳楽洋一郎氏が自社の経営について報告しました。自動車用品の販売、カーセキュリティーの取付け・販売を行う柳楽氏は10代の頃から自動車関係の会社に勤め、板金塗装や自動車整備の修行をしてきました。

 

会社名の「ゼロ」は“原点”という意味。初心を忘れない、かつ情報発信の中心でありたいという思いが込められています。2000年頃から車上荒らしや車両盗難が全国で増えました。柳楽氏は防犯設備士の資格を取得し、どうしたら車両犯罪を未然に防ぐことができるか考えながら、日々勉強しています。ほとんどの人が、車両犯罪は「自分とは関係ない」と思いがちですが、少しの気の緩みで犯罪に巻き込まれてしまうことがあります。「カーセキュリティーを通じてまずは県東部の地域を守りたい。そのためには地域に住む一人ひとりの防犯への意識を向上させることに努めたい」と報告しました。

 

経営理念を2年前に社員と一緒に創ったとき、私は、経営者としての事業の方針や社員に望むこと、こうなりたいという夢、一緒にこうなってゆこうというビジョンを静かに熱く話しました。

77歳のパート社員Iさんがいました。私は、同友会で理念を創るときの宿題を社員にも出しました。彼は、PCができないので、手書きで用紙いっぱい書いて、書ききれないから裏にまで書いてきました。それを発表するときの彼は真剣そのものでした。彼は、幾度となく、「私は、社長の考えに賛成して最後までついていきます」と言ってくれました。その言葉は他の社員にもよい影響を与えました。

そうして社員全員で作り上げた理念は、一つとなって成長しだしました。理念を社員と共有することで、態度や言葉使いが変わり、雰囲気が良くなり、問題が生じた場合の対処を理念の原点に立ち返ってどうしたらいいのかを自分で考えて解決できるようになりました。顧客に明らかにすることによって、会社が何を考えているのか、どこに向かっていくのかが明確になり安心感と信頼感が生まれてきました。明らかに、その後の顧客は皆笑顔で訪れて下さるようになり、それを社員たちはとてもうれしそうに喜んでいます。

話しは戻りますが、77歳の彼は10年前に食道がんの大手術をしていました。しかし、とても元気に毎朝出社して、前もって計画した自分の業務を淡々とこなしていました。そんな彼が、今年に入ってから休みがちになりました。そして、先日、突然急逝したとの連絡が入りました。通夜に参列しましたが、会場に入りきらないほどの人々がいて驚きました。彼の人柄を証明していました。後日、ご自宅に弔問に伺い、奥さまとお嬢様二人からお話を伺いました。彼は、2年前に経営理念を創っているころの話を家族に全部話していました。社長はこんな理念を言っている立派な方だとよく聞かされ、娘の仕事の悩みも自分の職場の話を例に出して励ましたそうです。普段は職場では無口なほうで控えめだったから意外な印象でした。毎朝作業着に着替えるのですが、具合が悪いと午前中休み、午後からよくなったら出社すると着替えないでそのまま一日を過ごしていたらしい。亡くなる2日前も「今日仕事に行ったらこれをこうして…」と行くつもりでいたそうだが、血圧が下がっていたので病院に行くように奥様に言われ、病院に言ったら即入院。翌日亡くなられたとのこと。家族から「本当にいい会社で仕事をさせていただいて本人はとても幸せでした」と言われました。

社員が、経営者を信頼して家族に自慢気に話し、仕事にやりがいと生きがいをもって生涯を閉じた。そのようなご主人や父を誇りに思っている姿を見ることができました。 私は、とても大切な事を彼を通して学びました。それはまだ言葉ではうまく言い表せませんが、経営者として経営理念を創ってよかったなと改めて思いました。それが社員の人生を変え、その家族をも影響を受け、人を幸せに導くものだということを知りました。

経営指針を創る会8期卒業生 坂上 洋一氏(静岡支部)

 

鈴木氏

会社名:税理士法人 あい会計

会員名:鈴木 弘之

事業内容:税理士業務(会計・記帳指導、決算・確定申告支援、相続対策、資金繰り対策等)

設 立:2002年7月

社員数:11名(役員3名含む)

入 会:2006年6月(磐田支部)

所在地:磐田市今之浦2-8-7

 

税理士法人の代表社員へ

創業は昭和40年代、現社員の戸田仲二税理士が個人事務所として磐田市で開業し、のちに旧豊田町に移転。平成6年に同じく現社員の鈴木得郎税理士が継承し、平成8年に現在の所在地に移転しました。鈴木氏は大学法学部を卒業後、平成5年まで地元楽器メーカーの経理部に務めていましたが「士業をめざしたい」と思い退社し、平成6年に入所。働きながら税理士試験を受け、平成11年に税理士登録しました。それまで鈴木得郎氏の名前で開設していた事務所でしたが、法人として長くお客様と付き合い、支援していくために、平成14年に先代の戸田氏、鈴木得郎氏とともに3人目の役員として法人化。平成23年8月、鈴木氏が代表社員になりました。

情報発信を強化した仕掛けづくり

現在は社員税理士3名(役員)、補助税理士1名、社会保険労務士1名、職員6名の11名で、法人110ヶ所、個人50ヶ所のお客様の会計・記帳指導、記帳代行、決算及び申告書の作成などを行っています。お客様のニーズに柔軟に対応し、可能な限り要望に応えることに努めています。目下のところ、お客様に役立つ法人税制などの情報発信ができるよう、ホームページなどIT媒体の強化をすすめています。「お客様や金融機関からの紹介だけでなく、ITを駆使した仕掛けが今後さらに必要になってくる」と言います。

高付加価値の組織をめざす

「代表社員になって、それまで同僚として切磋琢磨した社員から見られる目は甘くなくなった」と言う鈴木氏。それでも業界では独立をめざす士業もまだまだ多いなか「社員と一体になって、法人社員として長く働き続けてもらえる企業づくりをしていきたい」と語ります。そのために鈴木氏は経営指針の必要性にも触れ、個々の能力や力量だけで図れない「『会社の軸』を固め、付加価値の高い組織をつくっていきたい」と抱負を述べました。

左から穂坂氏、田邉氏、後藤夫妻

アコレ㈱
代表取締役 後藤 芳氏
事業内容:不織布の打ち抜き、化粧用パフ製造
創業:1970年11月
社員数:23名(パート含む)
入会:1981年12月
所在地:富士宮市星山961-6
URL:http://acore-puff.com/

■高い品質でコツコツと事業を継続
昭和45年、後藤商事として設立された同社は化粧用パフのOEM製造を主に行っており、元々は、製紙会社の不織布の損紙を再加工するところからスタートしました。人の縁もあり、地道に事業を継続して親子2代で40年以上。OEMが中心で、大手企業を中心に品質基準がとても厳しいとか。課題やクレームが発生すれば、全員集合してすぐに対策を考え、社長夫妻も現場でリアルタイムに改善指示をしながら品質の維持に取り組んでいます。

■人の縁を大事に
これまで発展してきた理由は?と尋ねると「人の縁」だと言います。社員は家族同然に、大切に関係性を築いて来ています。
また、ビジネスチャンスを探っていた時期に、たまたま人の縁で、後継者の居ない同業の経営者の方と出会ったそうです。交流する中で後藤氏の誠実さが買われ、その会社の機械と仕事をそのまま譲り受けたこともありました。

■同友会に出会って
同友会は入会して30年以上のキャリア。入会して多くの学びや気付きを得る中で、「それって(=現場に入ること)社長の仕事じゃないだろう」や「タネはまかないとだめだ」と言われたことが今でもずっと心に残っているそうです。

■新しい挑戦
試行錯誤する中で、近年は大きな取り組みに着手されました。長年親しまれた後藤商事の社名を、女性の“憧れ(あこがれ→アコレ)”の商品になるように、また業界の「核core」となる想いを込め、2011年1月1日の1が重なった日に現在の社名「アコレ」(acore)と名付け、変更。CIの整備、ホームページの開設を行い、積極的な情報発信をスタートしました。
そして今年は次のステップへ進むため、40数年目にしてはじめて、新卒(高校生)の社員を採用しました。いずれ訪れる後継者対策にも着手しています。専務である後藤氏の奥様も「私達(会社や経営者夫婦)と一緒に成長していきましょう」と社員たちと意識を共有し、一緒に手をたずさえて業務に取り組んでいる姿が印象的でした。

取材:田邉 元裕氏(㈲カボスメディアワークス・富士宮支部)
同行:穂坂 勝彦氏(富士宮清掃㈲・富士宮支部)

 

今回は、保冷材製造で国内トップクラスのシェアを誇る沼津支部の株式会社トライ・カンパニー、水田副社長を訪ね、私の逸品について、また会社の展望について大いに語っていただきました。

【表紙写真】創業当時からの手掘りの看板

会員企業名 株式会社トライ・カンパニー 創業 1990年4月
会員名 水田裕文(代表取締役副社長) 職種 保冷材など鮮度保持資材の開発製造販売
所属支部 沼津支部 社員数 正規40名・パート4名
会暦 2010年11月 入会 趣味 音楽鑑賞・ソフトボール・ゴルフ

 

創業時の手作り看板

当時、他社を定年退職された方が創業間もないトライ・カンパニーを手伝ってくれていたそうです。

その方が「よし、開業なら看板を作ってやる」と自ら手彫りで制作してくださったのがこの看板です。

水田さんは当時「保冷材製造という仕事でやっていくぞ、みんなで会社を盛り上げていくぞ!」という開拓の気運の中で、この看板を作ってくださった事や掲げてくれてあったことにあまり注意がいかなかったといいます。しかし、会社が軌道に乗り、現在の社屋への移転の際改めて看板を見て、創業当時のあの「なんでもみんなで乗り越えてがんばろう、自分にできることはやってやろう!」という仲間があっての今なんだとしみじみ思い浸ったのだそうです。手彫りでぬくもりのある素敵な看板は、現在も大切に保管されています。

 

看板の説明を創業当時の思いとともに説明

 

トライスピリッツ

会社名である“トライ・カンパニー”は創業者である芹沢順一氏が「精一杯生きて自己実現せよ」という想いから名付けたと例会でお話してくださっています。その名の通り、製品開発、市場開発と新しい取り組みにどんどん挑戦しているトライ・カンパニー。その原動力と展開についてお聞きしました。

「やはり保冷材を主軸にしておきたいという気持ちはあるのです。ですが国内市場を見ると飽和し衰退期の入口に立っていると言わざるを得ない。そこで10数年前から海外へ目を向けてきています。最初は採算の合わなかった韓国での製造販売が、今では大きく貢献してくれていますよ」。この韓国進出はまさに市場を作るところから始めたそう。韓国にはもともと保冷材を使う文化はありません。でも10年もの間コツコツと営業を続け、今では韓国シェア断トツのトップ、いわば保冷材のパイオニアとなったわけです。この韓国進出のノウハウをひとつのビジネスモデルとして捉え、現在タイ、台湾への進出を果たしています。

 

穏やかな話し方が水田氏の人間力を引き立てます

 

ここでおもしろい話をお聞きできました。

少し前にマーケットリサーチとして若手社員を1ヶ月インドに派遣したのだそうです。インドといえば暑い国、他のアジア圏の国と比較しても十分勝算があるのではと感じてしまいますが、社員さんのレポートでは「かなり難しい」と報告されたそうです。「やっぱりね、現地に行ってみると保冷材が根付く可能性がある国とない国がなんとなくわかるもんなんですね」と水田さん。なるほど、現地に行って肌で文化を感じてこそのお話です。これもきっと韓国、タイ、台湾と経験を積まれたから養われたアンテナなんでしょうね。

 

さらにトライスピリッツは製品開発にも現れています。

先日トライ・カンパニーでは、病気が原因で生じる不快なにおい(病臭)を和らげる「デオドラント”ケア”シリーズ」をプレスリリースしました。これは静岡県立がんセンターがファルマバレーセンターを通じて医療現場で必要とされるケア用品などを企業と開発、製品化する取り組みの一環として生まれた製品です。実際にがんセンターへ何度も通い、看護師さんから現場の状況、改良点を聞き出し生まれたまったく新しい消臭ケア製品。この製品に対する課題や展望をお聞きすると、「今まで90%以上が食品関係のお客様だったので、医療機関へのルート開拓、お客様探しはこれから。大変だけど期待は大きいですね。今は外部委託で製造していますが、ゆくゆくは内製したい。これをきっかけに有資格者の採用を進めて、化学的なアプローチで新製品開発を強化したいですね。」と具体的な見通しが返ってきました。

 

トライカンパニーの経営理念

事務所内には「トライの安全は私が守る 守らせる」のスローガンが大きく張られていました

 

この果敢な挑戦の背景にはトライ・カンパニーならではの体制も大きく関わっているようです。それは代表取締役が3名いるということ。創業者から引き継いだ会社を3人でタッグを組み経営されているのです。先ほどの話に出ました韓国に始まる世界進出は専務山梨さんの担当、ファルマバレーセンターの窓口となって開発を進めたのは女性社長である高安さんなのだそうです。そして水田さんは営業のトップ。創業者の熱いトライスピリッツを受け継いだ3人が意見を交わし見事な分業で「ひとりでは到底できなかった」とおっしゃる挑戦をし続けているのです。そしてその想いが会社全体の機動力となっているのだと感じました。

 

保冷材の製造工場を見学させていただきました

保冷材の中身の吸水ポリマー

水と混ぜるとどんどん増えてドロドロになります

丁寧に箱詰めされます

一番の古株の機械はおなじみのキャッチクールを現役で製造しています

 

課題と夢

最後に水田さんに今後の課題と夢をお聞きしました。「僕の喜びは、社員が自覚を持って動き、このトライ・カンパニーというステージで自己実現をしていく姿を見ること。これに尽きます。トライで仕事ができてよかった、トライで自分が思ったことを実現できてよかった、そんな風に社員に思ってもらえることが夢ですね。課題も一緒。社員のみんなに、いかんなくトライスピリッツを発揮してもらうにはどうしたらいいのか、ということが大きな課題です。それからこのトライスピリッツをどう受け継いでもらうかという承継問題にも取り組んでいかなくてはいけませんね。」

会社の規模や生産量でナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワン企業になりたいと語ってくださった水田さん。新たな分野、市場開拓にどんどんトライする企業風土の中に、人間がいきいきと仕事ができる、そのことこそが企業パワーなのだという確信があるのだと思いました。

 

 

取材:秋山 和孝氏(㈱アイソー・沼津支部)
取材:田村 雅彦氏(田村商会・沼津支部)
取材:羽野 佳明氏(丸は羽野水産㈱・沼津支部)
取材:渡邉 健氏(㈲ドリームズミュージックエンターテイメント・沼津支部)

原稿:津賀 由布子氏(㈲サンディオス・沼津支部)

フッター

7月5日(金)富士宮市志ほ川にて、富士宮支部7月例会が行われました。

テーマは「我が人生、夢芝居〈第二幕〉で、㈱東食品 代表取締役 望月貞則氏でした。

望月氏はこれまでの人生に起きた様々なエピソードや、今後の東食品の展望を語りました。

その中で「新聞社やテレビ局が何かネタを探しているときに、東食品に行けばいつも何か面白いことがあると思ってもらえるような会社になりたい」と語りました。

東食品では、地元富士宮の市の魚であるニジマスを使った餃子「餃子THE鱒」の開発と販売で経営革新計画の承認を受けました。地域とのつながりを大切に考える望月氏が地産地消を進める活動の一つです。

「やってみたいことばかりで毎日わくわくしています」と報告を締めくくった望月氏。今後も東食品から目が離せません。

 

㈱東食品ホームページ 餃THE鱒や冷凍富士宮焼きそばの販売も行っております。

http://www.azumafood.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「商品を売るんじゃない。自分を売るんだ」と語ったのは、うなぎの蒲焼製造業を吉田町川尻で営む、マルニうなぎ加工㈱代表取締役社長の大石好一氏。

うなぎ養殖業界は、明治12年に遡り、同30年に静岡県浜名湖でも養殖が開始、大正11年には吉田町でも養殖が開始されました。

大石氏は現在、活うなぎ販売の会社と、加工販売の会社を経営しています。「うまい」と言ってもらえるうなぎをお客様に提供し、喜んでもらえることを胸に、「商品よりもまず自分自身を売り込むことを大切にしている」と、人と人が飽きずに付き合うという商いの原点を振り返りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また仕事とは別に自宅敷地内に「津波避難タワー」を建設しました。「地元のためにできることは何か」私財を投じた実行力に地域住民、行政からも注目が集まっています。

榛原支部では、毎月ではありませんが特別例会の名称で、月に2度例会を行う月があります。今年度最初の特別例会は会員44名、金融機関1名、外部6名の51名で開催することができました。