今回の「我が経営」は、インタビュー形式で行いました。インタビュアーは三田宏一支部長がつとめました。
店舗の前で、伊豆縦貫道や、一般道の工事が行われました。入口は入りにくく、景観も悪くなり売上は減少。店内を一部のみ使用することで、一組一組に目が届く徹底したおもてなしを行い、お客様に対するサービスの質を、これまで以上に向上させました。常にお客様のことを第一に考えた結果、売上を上げることに成功しました。また、伊豆縦貫道の完成により遠方から訪れやすくなった為、これからが楽しみだと感じています。

新店舗の出店も計画として考えています。そこで社員が自ら進んで任せて欲しいという声を聞きたいし、そういう会社でなければいけないと感じています。社員を家族と考える原氏は、自己満足ではなく、社員が興味の湧く経営計画書を作成しています。経営計画書の前文には、経営者の独断で指示命令をするのではなく、社員に協力をお願いする文言があり、これは、良い会社を作る為には社員の力が必要不可欠と考えるからです。

 良い経営者には良い友人、知人が多い。打つ手は無限で、教えてもらうことや、共有することができる良い仲間作りを行うべきである。金持ち人生より、人持ち人生がよい。と、ここでも原氏が周りの人を大切にしていることが伺えました。中小企業は付加価値の高い、価格決定権を持てる商品を作る必要があると奨めます。 数字を知らない経営者ではなく、勉強をして数字に対して強くなければといいます。

 最後に、原氏にとって社長の仕事はどういうものか、という問いに対して、社長とは自分が営業マンとしてトップ営業をすること。方向性をきちっと決める。具体的な答えを求めようとするのではなく、判断・決定は自分自身でする。と回答し、悩んだら良い仲間に相談すればいいとアドバイスしました。

「我が経営を語る」は、石川英章氏(㈲石川商店)の報告でした。石川氏は中学の頃から家業を継ぎ後継者になると言う意志を持ち続け、実現させる為大学卒業後、ファッション小売業の大手に就職、念願だったバイヤーも務め、業務の中で分析力や計画力、部下への傾聴力を養います。その後体調を崩し入院したのをきっかけに退職を考え、最後の転勤という思いで願いを出し希望通りの神戸店へ配置され、全店舗売上1位という輝かしい結果を残し惜しまれつつ退社、家業である、㈲石川商店に入ります。

大手で学んできた自身の経験や実積を生かした経営を提案し実行しましたが、地元で長くやってきた両親と経営面での相違や、家族との思いの違いなどが生じました。すれ違いを感じ悩んだ後「家族は、かけがえのないもの」という思いから、家族に誓いをたて、新たな決意と方向性を見出し出発、今年社長に就任しました。

佐藤 浩美氏(㈲佐藤葬具店・三島支部)

来年度、志太支部は創立30周年を迎えます。その周年行事をどうするのか? 20周年当時、実行委員長だった福田克己氏(㈱ホームプラザ大東)、支部長だった戸塚康之氏(㈲アスカエンジニア)の体験談の後、グループ討論で会員の意見を出し合いました。

30周年行事を契機に、同友会活動を地域の多くの方々に認知していただくとともに、増強に繋がる機会としてオープン型の開催が良いという意見が多く出ました。

「エコノミックガーデニングを軸としたいがテーマが固くなる」「参加者が足を運びたくなるにはどのような仕掛けが必要か」といったテーマに関する意見の他、開催時期、場所などについても様々な意見や提案が飛び交い、時間が足りない程で、懇親会場に移動後も意見交換を行いました。

今回の例会は、30周年行事開催にあたり、全員が主催者であるという意識の高揚に繋がる例会になったと思います。

安江 千代子氏(㈱ホワイトエンジェル・志太支部)

今月の例会では、「人」に関する悩みと助言・提案、そこから得られる学びについて参加者一同で共有をしました。「後継者不在」という悩みに対しては、「創業者であれば、やれるところまでとことんやってみては」「任せられないと思っていても、やらせてみると案外できるもの」などの意見が挙がりました。また、「業績に結び付く若手人材の不足」という悩みについては、「若い人の性向を理解し、彼らの得意分野で企業の利益を生み出せるような方策を採っている」「後進を育てないと自分が大変になる。成長の実感を楽しめるような仕掛けを作り、厳しいながらも楽しみ、成長できる環境を作っている」といった、実際の事例を基としたアドバイスがありました。その他にも、「NGばかりの指摘だと事務処理屋しか育たない」「考える力を育てたい」「まずは自分が変わらなければ」など、参考になる意見が随所に散りばめられていました。

参加者からは、「出て良かった」「社員育成について考えを改めることが出来た」といった感想が多く聞かれました。

今回私は、「自分ひとりで考え込まずに、まず行動してみることが大切」と感じました。この例会のように、出会いと対話、議論の中に、悩みの解決のヒントがきっとあると思います。

須山 由佳子氏(㈲キャリア・アップ・浜松支部)

報告者の小松寛氏(㈲ヤマカ水産・専務取締役)は、大正元年創業の沼津の老舗ひもの屋の一人っ子として生まれ、「将来この会社を継ぐ事になるだろうな」という漠然とした思いを持ちながら青春時代を過ごします。大学卒業後は築地の水産仲卸会社で5年修業した後、4年前に28歳で帰郷、入社。傍から見れば上手く行っていると思っていた会社の実情に愕然とし、自身の経験を基に立て直しを図りますが、外部環境の荒波に抗いきれません。何とかしなければと焦っていた時、同友会の存在を知り、即入会。昨年参加した県の経営指針を創る会で、自分のひものに対する熱い想いに気付かされ、1年かけてその想いを籠めた経営指針を創りました。

経営理念の唱和や組織図の作成、販売会の実施や冠商品の開発など、創る会での学びを直に実行に移している小松氏。最後に「5年後には東京に店舗を出す」と夢を語ってくれました。経営者として必要な事を謙虚に学ぶ姿と次々と実践していく小松氏の行動力に驚き、多くの事を気付き学ばせて頂いた報告でした。

杉山 秀樹氏(㈲第一経営会計事務所・沼津支部)

富士支部副支部長の大竹政彦氏(㈲富士清掃センター)が磐田例会に登壇。同氏は第8期経営指針を創る会を卒業し、活かす・綺麗な・誇れるゴミ屋を理念に掲げています。2007年に入社、義父社長の下、経営責任の自覚のないまま仕事を何となくこなしていたと語ります。その2年後に入会。活動にも何となく参加していただけでした。転機は2011年。会社を移転、業績も悪化。顧客からは値下げ要求。先代社長は当面の運転資金をカバーするために融資を申込み、承諾の翌日、逝去されました。社長を受け継ぎ、初めて感じた判断と責任の大きさ。経営理念を念頭に置いて行動し、社員ととことん話し合い、分かち合う会社づくりを実践しているとのことです。現状に向き合い、1歩踏み出して良かったと言い、社員への感謝と共に、労使見解がバイブルと語りました。報告後、経営者として実践していきたいことをテーマに、富士・浜松支部会員と共にグループ討論を行いました。人材育成、情報発信の強化等の実践目標が多々挙がりました。その根底にある精神は、経営指針書と労使見解の実践が重要とグループ内で共有しました。

鈴木 弘之氏(税理士法人あい会計・磐田支部)

物流を支え、モノ・人・情報を繋ぐ

松葉倉庫㈱

代表取締役社長 松葉 秀介氏(志太支部)

事業内容   倉庫業、梱包検査、出荷代行業

※関連会社  松葉倉庫運輸㈱/運送業

創業     1972年(昭和47年)3月

社員数(グループ計) 正規 52名 パート/アルバイト等 55名

本社所在地  藤枝市下当間645番地

営業所所在地 藤枝市・焼津市・吉田町・掛川市

入会     1997年(平成9年)1月

URL    http://matsuba-soko.co.jp/


松葉秀介氏(右から2人目)

掛川に物流センターを新設

静岡県藤枝市下当間に本社を構え、志太・榛原地域を拠点に物流業を営む松葉倉庫㈱。今回は、志太支部長でもある松葉氏の案内の下、7月から新たに開設された掛川物流センターを訪問しました。

同センターは東名高速道路や掛川バイパスへのアクセスも良く、物流拠点として好環境の所にあります。拠点を掛川に新設した理由について伺うと「以前から中遠地区への進出を考えていたところに、主要荷主の掛川への移転の話があり、決断した」とのことでした。

変化への柔軟な対応力が強み

2階建ての新倉庫は、上下合わせて約1,100坪。物流倉庫の中では大きなものではありません。大きな倉庫は収容能力こそ高いですが、環境の変化に伴い利用率が下がった時のリスクもまた高くなります。そこで、適切な規模の倉庫を軸とし効率良く回転させ、状況に応じ周辺の賃貸倉庫と組み合わせることで、外部環境の変化に柔軟に対応できる体制をとっている、とのことです。

また、大手と比べて顧客の要望の変化に柔軟に対応できることを、松葉氏は強みとして挙げています。特に外資系企業の場合、海外からの指示が逐次トップダウンで日本の工場に下り、それにより顧客の依頼内容も変わります。その変化への柔軟な対応は、大手にはなかなかできません。松葉倉庫の企業規模や企業風土が、そのまま企業の強みに転じています。


新倉庫の説明をする松葉氏(左から2人目)

「チャレンジ」から「リンク」へ

松葉氏は、拠点の新設、掛川への進出などを「チャレンジ」とし、吉田や焼津をはじめとする自社拠点とどのように繋げていくかを課題として挙げます。物流とは製造・販売・消費者を繋ぐものであり、倉庫はこれらの繋がりを効率的、効果的にし、様々な負荷を減じる機能を持っています。繋がりは新たな機会、新たな力を生み出します。「チャレンジ」から「リンク」へ、と自社の展望について語る松葉氏のお話に、私も頑張らねば、と強く刺激を受けました。

取材・記事 山田 幹也氏(㈱立花ガーデン・志太支部)
取材 塚本 和成氏(㈲塚本商店・志太支部)
大畑 邦明氏(㈱セーフティプロジェクト・志太支部)

【表紙写真】天野醤油 天野栄太郎代表取締役

会員企業名 (株)天野醤油 設立 1930年(昭和10年)
会員名 天野 栄太郎 業種 製造業
所属支部 御殿場支部 社員数 社員 5名・パート 4名
会暦 2006年10月入会 事業内容 再仕込醤油・国産丸大豆醤油の天然醸造 国産丸大豆本仕込味噌 醸造元

天野醤油株式会社 天野栄太郎氏

今月は御殿場支部の「天野醤油株式会社」を尋ねました。まもなく創業80年を迎える、地元ではだれもが知っている老舗醤油メーカーです。大手・中堅メーカーの量産醤油が全国シェアの7割を占める厳しいマーケットの中で、原料と製法にこだわり、ついには日本一の醤油に登り詰めたまさに“逸品”の醤油を作り続ける、こだわりの中身をご紹介します。

1.天野醤油ができるまで

工場の様子

今回、広報委員会で取材をさせて頂いた時はちょうど月に一度、2週間ほどかけて行われるしょうゆ麹の仕込み時期でした。原料は国内産丸大豆、国産小麦、国産塩、水の4種類。蒸した大豆と炒って砕いた小麦に種麹を混ぜ、数日間寝かせてしょうゆ麹を作る作業が行われていました。この麹作りで醤油の味が決まってしまうとの事で、特に心がけているのは人の手を使い、丁寧に作業する事だそうです。温度や湿度管理はもちろん、麹菌を万遍なく行き渡らせるための“天地返し”も、機械化せず人の手によって丁寧に行われていました。この麹づくりへのこだわりが、天野醤油の原点となっています。

製麹室。人の手を加え、こだわりの麹が作られます

製麹室では、温度・湿度管理が欠かせません

十分に発酵が進んだ醤油麹はホースで発酵樽へ圧送され、富士山の湧水で作られた食塩水を混ぜ、濃い口醤油で1年、再仕込み醤油で2年の歳月をかけてゆっくり熟成されます。熟成樽には天野醤油を作り出す天然酵母がたくさん棲みついているとの事。乳酸菌や酵母、麹菌などの働きによって天野醤油の味が作られていきます。酵母の働きを活発にするために温度を上げたり、発酵を促進させる技術は存在しますが、天野醤油では天然醸造にこだわり、四季によって変化する温度や湿度を見極めながらの「職人技」によって作られています。

成熟樽の様子。天野醤油を作る天然酵母の棲み家です

発酵中の麹からは息遣いが聞こえました

熟成が終わったもろみは風呂敷のような大きな布に包まれ、積上げられて搾りの工程に入ります。最初はもろみ自身の重みでゆっくり絞られ、2日目からはプレス機を使って搾りますが、ここでももろみに負担を掛けないように時間をかけて絞ることで、丸みのある、おいしい醤油に仕上がるとの事でした。最後に火入れをして殺菌、発酵を止め、ろ過・瓶詰することで100%天然醸造の天野醤油が完成します。

もろみは木枠の中で積み上げられ、ゆっくり搾られます

最後は優しくプレス機で搾り。おいしい生揚げ醤油が滴っています

2.自社ブランドへのこだわり

天野醤油は先々代の天野福太郎氏によって設立され、富士山の湧水と国内産原料を使った醤油造りにこだわり続けています。父の代には醤油業組合に合理化の波が押し寄せ、共同出資組合に加入することで共同製造を行うよう誘いがあったものの、無添加・天然醸造醤油製造へのこだわりから頑なに委託製造を断り、自社製造の道を選ぶことになりました。現在、静岡県内33社ある醤油メーカーのうち、29社のメーカーが同じ工場で作られた醤油を販売し、県内92%の製造シェアを持っています。自社製造をしているのは天野醤油を含めてたったの4社。そのうち半分にあたる県内製造シェア4%(年間30万リットル)が天野醤油で製造されています。
「良い原料・良い環境で、おいしい醤油を作りたい」「自分で作ったものを自分で売りたい」という思いが息づき、現在の「天野醤油ブランド」が確立されています。

炒った小麦

3.日本一の再仕込み醤油

このような厳しい醤油シェアの中でも天野醤油が生き残ることが出来るのは、品質が驚くほど高いからです。「日本一の醤油を作りたい」という思いから、再仕込み醤油の製造を決意されました。
再仕込み醤油とは大豆・小麦で造ったしょうゆ麹に、塩水の代わりに1年かけて熟成させた生揚げ醤油を加えてもろみを作り、さらに1年間熟成させた醤油の事です。つまり完成まで2年の歳月を要する、非常に手間、時間、コストがかかる醤油なのです。
この再仕込み醤油に取り組み、平成10年には全国醤油品評会、再仕込み醤油部門にて「食糧庁長官賞」(全国2位)を受賞。そしてついに平成12年、同品評会にて「農林水産大臣賞」(全国1位)を受賞、さらには平成14年、「農林水産省綜合食料局長賞」も受賞されています。

平成10年、食糧庁長官賞 受賞

平成12年には農林水産大臣賞 受賞

このような数々の上位賞を受賞されるという輝かしい経歴を持った天野醤油の再仕込み醤油は現在、JAS(日本農林規格)の再仕込み醤油における特級規格の基準となっています。醤油造りに対するまっすぐな思いと情熱によって、時には大手醤油メーカーの方が工場の視察に来たり、県東部の学校給食に採用されて多くの子供たちにおいしい醤油を提供するなど、安心と信頼、実績を兼ね備えたこだわりのブランドになりました。

4.食育活動

このような輝かしい実績を淡々と、そしてにこやかにお話しされる天野栄太郎氏。しかしインタビューを進めていく内に、醤油業界に対する不安を口にされました。
昔は家庭料理で煮物や麺つゆを作ったり、お中元・お歳暮といった贈答品として醤油を送ったりと、醤油を使う機会が多かったのですが、近年では日本人の食文化の変化や生活スタイルの変化のために醤油離れが進んでいるそうです。それに輪をかけて長引く不況の中、外食産業が減少し大口顧客も減っているとの事。このような中、「日本の伝統調味料である醤油の素晴らしさ」を伝えていくため、天野氏自身も積極的に小・中学生に対する「食育活動」を行っています。

その思いの根幹にあるのは「恩返し」。県東部では広く学校給食の調味料に天野醤油が使用され、おいしい給食が作られています。その御恩に対して「食育」と言う形で応えたいとの事でした。平成22年には日本醤油協会認定の「しょうゆもの知り博士」を取得。全国に200名、県内には5名しかいない博士号だそうです。毎日使っている調味料でありながら、作り方、原材料、醤油の種類、色、保存方法など、醤油について案外知られていないことが多く、子供たちも毎日給食で口にしている天野醤油なので関心を示してくれると、楽しそうにお話しされていました。

5.これからの目標

食育活動を行う傍ら、次の時代に生き残るためのビジョンもお話しされました。どんなに醤油の素晴らしさを伝えても、日本人の食文化が変わっていくのは止められません。醤油の代わりとして、既成のめんつゆやドレッシングがシェアを伸ばしているそうです。また、プロの料理人からも「天野醤油ブランドのたれやドレッシングを作ってほしい」と要望が上がっているとの事。天野醤油への評価の現れと見ることもできるのでうれしい声ではありますが、一方で醤油職人としては添加物による味の変化や日持ちの関係、醤油に対するこだわりから加工品はなかなか作りたがらないのが現状の様です。
日本の伝統産業である醤油づくり。この伝統はしっかり変えずに守り抜きたい。この醤油を会社の柱としつつ、お客様のご要望にお応えするために欲をかかずに商品の幅についても取り組んでいきたいとの事でした。

 

取材終わりに、にこにこしながら濃い口と、再仕込みの醤油小瓶セットをお土産に持たせてくれた天野氏。「醤油の素晴らしさ」を語るには「本物であること」が大前提。味も香りも、本物の醤油は全く違うことを実感しました。しっかりこの伝統を守って頂きながら、近い日に美味しい新商品が発売されることを心待ちにする取材班でした。

取材・文:大川 隆久 フヱタ工業㈲
写真:片野 貴一郎 ㈱モスク・クリエイション
取材:遠藤 直樹 ㈱マルエ
取材:杉山 正英 ㈲杉山正五商店

2014年(平成26年)6月13日、富士宮駅前交流センターきららにて、富士宮・富士支部6月合同例会が開催されました。富士宮支部53名、富士支部33名、他支部5名、オブザーバ4名が出席したこの合同例会では、兵庫同友会代表理事・藤岡 義己氏(㈱イーエスプランニング 代表取締役)より「よい会社への道標 同友会型ビジョナリーカンパニーへの道」と題しご報告頂いた後、「(~にとって)良い会社とは、どういう会社ですか?」をテーマにバズセッションを行いました。以下、両支部からの報告です。


「よい会社」について考える

富士宮支部では本年度の例会統一テーマを「よい会社とは」としています。藤岡氏の話は自社の経営体験を踏まえたもので、「よい会社」について分かりやすく説明を頂けたと思います。

兵庫同友会では県ビジョンの中に『同友会型ビジョナリーカンパニー』を掲げ、①「赤字企業から黒字企業」へ→②「弱い会社から普通の会社」へ→③「普通の会社から強い会社」へ→④「強い会社から良い会社」へ→⑤「なくてはならない企業」へ、を道標にしているとのことでした。自分のところの会社が今どこにいるのか、さしあたり目指すところはどこなのかを考えるうえで参考になります。藤岡氏の会社についてみると、この段階をふんで「ビジョナリーカンパニー」を実現してきています。

お話の中で印象に残った言葉から。「企業体力度の強化(総資本利益率10%×自己資本率30%=300%以上)」「業界はなくならないが会社はなくなる」「ビジネスモデルはつねに陳腐化する」「稼働の見える化(データの収集と活用)」 「遂行力(ノウハウでなくドゥハウ)」「戦略×遂行力(遂行力は社員の成長による)」。最後に藤岡氏は「同友会理念は3次元(幅・奥行き・深さ)」という話をしました。3つの目的を順番に考えるのでなく、融合させて立体的にとらえて身につける、ということです。

外部環境に目を向けると、人口減少によって市場と労働力は縮小します。大企業は“地場”産業に進出してきます。そのなかで自分たちの会社がどう生き残っていくか。藤岡氏の言葉の一つ一つに変化に対応する「志」が宿っているように思われました。

「よい会社」とは。グループ討論を通して参加者それぞれが考える機会を頂いた例会でした。懇親会も熱気あふれるものでした(ジョッキの下から注がれるビールは初めて見てオドロキ)。帰り掛けの代行運転の運転手さんが、「みなさん笑顔で、こんな会合って、近頃では他にないですね」とひとこと。今後とも両支部の「絆」がますます強まっていくことを念じたいと思います。

佐野 譲二氏(㈱和泉運送・富士支部)

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「唯一無二の学びの場」同友会を確信

「駐車場はメディア」と言い切るほど、データを徹底分析・活用しながら業務を伸ばす藤岡氏。ニーズも変化し、中小企業のフィールドに大手がどんどん参入する時代、地域密着型事業を理由に気を抜く暇はない、と中小企業を取り巻く外部環境の変化を指摘します。赤字会社・普通の会社・強い会社・良い会社を経て、その先にある「なくてはならない企業」への5つのステップの道のりを示した、示唆に富んだ講演は刺激的でした。

「実際のデータにもとづいて科学的・客観的な分析を行って戦略を策定し、確実に遂行する事で、顧客に選ばれ、生き抜くことができる」と藤岡氏。理念だけ作って満足したり、思い込みや決めつけの経営からは脱却せねばならない、など、自社に置き換え、振り返るべき要素を多く学ぶことができました。

「経営者は自分の経験だけではなかなか伸びず、学び合うことで真に成長する」。富士宮支部の先輩も、「答えを学ぶのではなく、学び方を学ぶ」と説きます。その学びを実践できる唯一無二の場所が同友会なのだと、確信しました。

田邉 元裕氏(㈲カボスメディアワークス・富士宮支部)


6/7(土)県同友会事務局にて中小企業憲章・中小企業振興基本条例学習会を開催しました。県内会員をはじめ、静岡大学や藤枝商工会議所等、約40名が参加しました。「中小企業振興条例で地域をつくる~墨田区の産業観光施策~」をテーマに、東京都墨田区企画経営室長の高野祐次氏に登壇頂きました。



墨田区中小企業振興基本条例が生まれた背景

東京都の東側に位置する墨田区は、人口約25万人の区です。街の歴史は江戸時代に遡ります。江戸城近くで庶民の街として栄えた墨田は、明治に入り近代工業として発展していきました。隅田川花火や両国の大相撲、また江戸前寿司等、食文化や伝統工芸など江戸文化が今でも色濃く残っています。墨田区の特徴は、中小零細規模の製造業が集積し、日用消費財を中心とした試作、開発、高度技術、ニッチな商品分野などに特化していることです。

昭和に入ると、浅草・日本橋など問屋・流通機能を支える生産拠点として墨田区の日曜雑貨工業が発展していきます。しかし、高度経済成長期の昭和40年代から徐々に生産拠点が地方へ移転していき、昭和45年の9700工場をピークに減少、街は活力を失い始めました。このような街の危機的状況を鑑み、区の最重要項目の姿勢を打ち出したのが、1979年制定の「墨田区中小企業振興基本条例」です。街の活力低下を実感した当時の区長が発案し、係長級職員190名を動員して行った製造業系約9000の全事業所調査を経て、条例が制定されま
した。

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制度に魂を吹き込むための様々な仕掛け

条例が出来ただけでは街は変わりません。条例に魂を吹き込むため、昭和60年代から条例に基づく、区の産業ビジョンを策定、以降様々な施策が展開されました。小さいながらも頭脳を備えたものづくりの現場が織りなす密度の高い生産ネットワークと、それを支える地域の文化の実現=「工房ネットワーク都市」を目指すという目標を掲げました。

しかし、産業構造は時代の流れと共に変化し、地域を支えていた事業所の後継者難とそれに伴う転廃業が増え、昭和45年に9700あった事業所は平成20年には3400所、現在では3000所を割っています。約40年で3分の1に減少、ものづくりの衰退が深刻さを増していきました。

墨田に活力を取り戻すべく、産業と観光の相乗効果を視野に東京スカイツリーの誘致に名乗りを上げました。江戸伝統文化を継承する地として誘致を実現し、観光を起爆剤に初年度5000万人を超える集客を生みました。今後も大きな地域経済効果が期待されています。

墨田の歴史文化と東京スカイツリーを活かした観光施策だけでなく、ものづくり産業の再生を目標に、その継承とブランディングにも注力しました。区内外のデザイナーやクリエイター等のものづくりニーズを持つ人材と、実際に製造する人材が集まって、製品の企画開発創出拠点「すみだ版ファブラボ」を展開しています。また、地域ブランド価値を高めるための認証商品「すみだモダン」に挑戦する企業も増えています。

高野氏は、街の活力を維持、発展させていくために大切なことの一つに「人材育成」を掲げます。墨田区では、次代を担う人材育成と施策が幾重にも重なった重層展開を実現し続けるため、「フロンティアすみだ塾」を10年前に開設。以降、10年間で100名を超す後継者・若手経営者が育ち、墨田産業界のコアになる人材が増えています。新たな「コト」を興していくことで、人が繋がり、地域が変わります。今後も墨田区では「新しいコトを興す」ことを戦略とし、産業と観光を相乗的に進め、地域おこしに繋げていきます。

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地域を変えた「3つのDO」

最後に高野氏は、地域を変えてきた3つのDO、「①制度→②ムード→③風土」を紹介しました。

制度とは言わば「決まり事」であり、時に強い力を持ちますが、制定しただけでは窮屈な枠組みになりかねません。そこで、関わる企業や組織、団体がその制度を活用し、その恩恵を共有できる雰囲気=ムードを作ります。制度を元にムードが生まれたら、そのムードを継続的に育て、空気のように「あるのが当たり前」という程にまで醸成していきます。そうして出来上がった、文化や価値観や思考プロセスなどの共有基盤を生み出す目に見えない環境が、風土です。①制度→②ムード→③風土のそれぞれを作り出すために働きかける(=DO)ことが大切であり、墨田区に今ある風土を確立できた原点は「中小企業振興基本条例」と高野氏は説明しました。

学習会の総括として、藤原博美代表理事は「高野氏の説明を聞き、墨田区はとてもいい街だと感じました。また、ものづくりやブランディングを支えるための様々な働きかけや仕掛け、墨田区にある9,000社の実態を見て回った行政のフットワークは、素晴らしいと思いました。ものづくりや地域の文化、経済を支えるのは人であり、フロンティアすみだ塾を以て人づくりを行っているなど、長期的なビジョンを描き、その実現のために成すべきことを行っているのも印象的でした。静岡県でも、景気が良くなるのを待つのではなく、各自治体へと働きかけ、制度→ムード→風土の3つのDOを実践していきたいです」とまとめました。

本年10月には墨田区への訪問ツアーを企画しています。ご興味のある方は同友会事務局までお問い合わせください。

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