長岡善章氏(㈱アーティスティックス)の報告は、自社の創立から現在に至る経緯とこれからに関する、インパクトのあるものでした。プログラマーの技術を生かしてのサラリーマン業から一転、情報サービス会社を設立。当初は順調に業績を伸ばし、積極的に社員の増員も行っていきますが、社長の思いが上手く伝わらず徐々に内部に問題が蓄積。少しずつ社員が退職、ついにはNo.2、No.3までもが会社を離れていきます。軌道修正を試みるも、社長の言うことは聞かず、ハンドルを切っても曲がらない、ブレーキを踏んでも止まらないという会社となってしまうのです。

ここで自分の人生をじっくりと反省し、これまでの経験をもとにもう一度会社を作り直そう、会社の基礎固めに全力を尽くそう、と決意します。「社長が変わらないと会社が変わらない」という報告のテーマは、参加者全員に社長の器についても様々に考えさせられるものでした。
会社を変化させるとなると、多くのリスクが伴います。だからこそ、将来へのプラスの動向を考えて行動すること、前向きな努力、自分自身に厳しさを持つことが必要だと思います。常に自己に問うべきテーマでした。
現在、会社はプラスの方向に順調に動き初めているようです。ここからが社長のさらなる手腕の見せどころです。

バズテーマは「お客様から一番に声をかけて頂くために何をしていますか?」。長岡氏が掲げる、これから客先を多く増やしていきたいという方針にぴったりで、グループ討論も大いに盛り上がりました。「足を使って小回りを利かす」「お客様への提案型のアプローチを積極的に」など、複数のグループに共通の意見が多くありました。

長岡氏の人間性や社員思いの温かさが感じられ、とても良い報告でした。やはり会社を左右するのは社長の人柄、器、人間性であり、お客様に見られている所でもあるのだと思いました。
長岡氏が発表を終えた後の、社員さんのホッとした表情が印象的でした。

片野 浩一氏(㈲弥生製作所・沼津支部)

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函南町の川口明彦税理士事務所より川口明彦氏をお招きし、経営者として一番重要な決算書の分析についてお話を頂きました。

川口氏の地元は沼津ですが、2年前に居を函南町に移し、函南町において地域に根づいた活動をされている、静岡東部の顧客に愛される税理士です。
B/S (貸借対照表)の構成、貸し方・借り方の見方の内容に始まり、自己資本比率、流動比率などの安全性の分析、そしてキャッシュ・フローを貯める事については特に重点を置き、説明して頂きました。

川口氏は、強い会社を作る為には経営者はB/S思考が大切で、長期的に利益を上げる仕組みを作る為には、B/Sのバランスを見ながらキャッシュ・フロー計算書をしっかり見なければならない、と言われました。また、キャッシュ・フロー計算書には営業活動、投資活動、財務活動に係るボックスがあり、これらの好ましい組み合わせを教えて頂きました。

2008年度上期企業の倒産件数は45件で、その内21件が黒字倒産でした。利益が出ているのに、キャッシュ・フローが焦げついて倒産に至っています。その企業のB/Sからは明らかに危ない徴候が読みとれていた事から、経営者は日頃から毎月の試算表だけでなく、キャッシュ・フロー計算書を意識して見なければならない事を強くおっしゃっていました。

限られた時間の中、税務署の税務調査時のポイント、決算対策(在庫及び経費削減のポイント)についても説明頂きました。同友会の目的の中にある「経営者に求められる総合的な能力」の一つとして、会社の成績を表す決算書については、分析と対策を実行する力を日頃から勉強して身につけていなければならない事を改めて感じた例会となりました。

大川 博泰氏(大川食品工業㈱・三島支部)

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社員第一主義で未来永劫続く会社づくりを目指す

イトウシャディ(株)

代表取締役 伊藤 義康氏(榛原支部)

事業内容:贈答品小売業・ギフト

設立     1981年2月28日

社員数    22名

入会     2009年3月

所在地    静岡県牧之原市波津828-1(本部)

URL      http://www.gift-ito.jp/pc/index.html


伊藤 義康氏(右側)

社員が自ら考え創る特産品ギフト

伊藤義康氏が3代目社長を務めるイトウシャディ㈱は、今年で創立35年。冠婚葬祭やお中元用のギフトを中心に取り扱う他、陶器・雑貨・テーブルウェア等、ご自宅用の商品も多く取り扱っています。また近年では、地元を離れて暮らす人達へ故郷の特産品を贈る、地域の魅力を届けるギフトに力を入れています。その内容、企画から交渉に至るまで、社員自らが考え行っている、と伊藤氏は言います。

社員のやる気に火をつけろ!

伊藤氏は「会社の最大の資源は人である」とし、社員がそれぞれの持ち味を発揮しながら仕事に取り組める環境づくりを常に考えています。社長が高い位置から社員を見てばかりでは、なかなか社員のモチベーションを高めるポイントは見えてきません。目線を社員と同じレベルに下ろしてそのポイントを見出し、彼らのやる気に火をつけるのが社長の仕事だと、伊藤氏は語ります。月に1回は店舗を閉め、商品の勉強会や社員からの希望での視察等、様々な社員研修を行います。この結果が、昨年より年間で10日間休日を増やしても伸びている売上に現れています。

社員と共に歩み続ける会社づくり

伊藤氏が目指すのは、社員の辞めない会社です。それは、社員にとって都合の良い「ぬるま湯状態」ではなく、時に厳しく、適度な緊張感があるものです。このバランスを取るのが難しいのですが、だからこそ伊藤氏は、常に社員と共に勉強し続け、皆にとって良い環境づくりを考えます。会社とは、一発の大きな打ち上げ花火のようなものでは無く、永く続く会社であるべきだ、と語る伊藤氏。社員の力を引き出し、強靭な経営体質の会社をつくり上げていく事と思います。

取材・記事:河内 崇文氏(㈱スマートブレイン・榛原支部)

2015年1月24日、静岡同友会設立40周年のつどいがホテルアソシア静岡にて開催され、設立メンバー6名を含む97名の会員が参加しました。
冒頭、遠藤一秀代表理事から「この集いを、自社や同友会活動の歴史を振り返る機会、そして現状を分析し、未来への展望に思いを馳せる機会として欲しい」と挨拶がありました。

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続いて第一部「同友会運動と私の経営実践」と題したパネルディスカッションでは、勝又悦朗氏(元 ㈱青島文化教材社)、小野清氏(㈲小野美術印刷所)、中西賢市氏(㈲中西設備)、横山英雄氏(㈱横山事務器)、秋山實氏(㈲豆豊商店)、杉村征郎氏(杉村精工㈱)から、設立当時の様子やこれまでの歴史、同友会の魅力についての話がありました。第一次オイルショックや労組運動等に経営者が苦悩する中、71名の会員により設立された静岡同友会。当時は「知り合い、学び合い、励まし合い」を合言葉に活動していた事、数多ある出会いをすれ違いにしない為には謙虚に学ぶ姿勢が不可欠である事、永らく会に身を置き謙虚な姿勢で傾聴する事で、自然と自身の内に学びが蓄積されてきた事、そして、自主、民主、平和を担う経営をして欲しいという願いが伝えられました。

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第二部「10年後の自社と同友会」では、次代を担う会員の中から塩川佳司氏(御殿場支部)、内田信氏(富士宮支部)、中村佐和子氏(静岡支部)、鈴木徹氏(榛原支部)の4名が登壇し、事業承継や新規展開、静岡同友会の増強等、自社、自分自身、そして静岡同友会の10年後について話しました。

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その後、それぞれのテーブルで、設立メンバーや会歴の長い方を囲んでのバズセッション。各卓とも、経営や同友会の話で盛り上がっていました。

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静岡同友会草創期の想いに触れ、その歴史の厚さを感じ、若き会員がその想いを受け継ぐ。地域の未来に想いを馳せ、自社経営を交えて世代・業種を超えて交わる、同友会ならではの会となりました。

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【参加者感想】

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私も参加させていただいた40周年のつどいでは、静岡同友会の設立に携わった杉村氏、勝又氏、小野氏、中西氏、秋山氏、横山氏の計6名の方に、「同友会運動と私の経営」のお話をしていただきました。どの方にも共通するのが「同友会があったから今がある」でした。若輩者ですが、私もその想いは一緒です。どれだけ同友会に助けられ、どれだけ同友会に励まされたか。6名の方が経験してきたことは、今私たちも経験しています。

また6名の方には、設立当時には莫大な時間と労力を同友会のために注ぎ込んだとお聞きしました。そういう方々の苦労、そして今日まで同友会のためにご尽力下さった方々がいたからこそ、今があるのだと思います。

私たちは、その方々の熱き想い、そして力をさらに発展させ、次の世代へ引き継がなければなりません。そのためには一人でも多く、「同友会に出逢えて良かった」と思えるメンバーを見つけたいと思います。

1974年7月に71名で立ち上げた静岡同友会。早期に会員数1,200名を突破し、先輩方の期待に応え、同友会をさらに飛躍させたいです。

そして、次世代を担い手として期待される4名の会員の方の3分間スピーチは、とても頼もしく、また今後の同友会の発展が期待できるものでした。
ベテランから中堅、そして若手とすべての世代が揃って、初めて同友会の真の学びあいができるのだなと、実感させられました。

菅沼 良将 氏(玉穂木材工業㈱・御殿場支部)

【写真】(有)小松水産 専務取締役 小松 寛氏

【逸品】正子さんのさば醤油干し

会員企業名 (有)ヤマカ水産 創業/設立 1912年(大正元年)/1973年(昭和48年)
会員名 小松 寛 業種 食品製造業 水産加工業 干物製造及び販売
所属支部 沼津支部 社員数 正規9名、パート36名
会暦 2012年6月入会 事業内容 各種干物製造、販売

 

(有)ヤマカ水産 外観

(有)ヤマカ水産の専務取締役 小松寛氏は、物心着いた時には周囲から次期社長と思われていました。また、自身も跡を継ぐものだと思っていました。その後、中学、高校、大学を経ていざ就職という時、「まずは別の会社に入り勉強して、家業に役立つ知識をつけよう」と思います。こうして4年間、東京・築地の中卸会社に勤め、人脈も形成した後、いよいよ家業を継いで会社を盛り立てよう、と(有)ヤマカ水産に戻ります。

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しかし、いざ会社に入ってみると、その経営状態は良いものではありませんでした。そこで自社を見渡してみると、商品力も製造能力もあるのですが、販売のルートができていません。そこで小松氏は、自身の経験を元に考えをまとめ、販売ルートの確保に着手します。前の会社で働いた時に築いた人脈を活かして販売ルートを確保し、売り上げは伸びていきました。

このままいけば経営状態を改善できる、と見込んだ矢先、原材料価格の不足・高騰の波が押し寄せます。これにより業績は悪化。この状況をなんとか打破できないか、という思いから、小松氏は同友会に入会しました。

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同友会入会後、第10期 経営指針を創る会に参加します。経営理念を作るに際し小松氏は、干物にこだわらず何か新しい試みを入れてみようと一度は思います。しかし、創る会を通じて「自分は干物が好きだ」という想いと「まだまだ干物の良さは拡げられる」という考えに辿り着き、会社の良い所・悪い所を洗い出した上で「干物で勝負をしよう」という決意を籠めた経営理念を創り上げたのでした。

創る会を卒業後、小松氏が着手したのは、職場環境の改善でした。2階にある食堂を綺麗に改装し、自分が作った経営理念を各テーブルに配置。また、週に一回昼礼も行うことにしました。こうすることで、一致団結する機会が増えると共に、経営理念も次第に浸透するようになりました。

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さて、(有)ヤマカ水産が生んだオリジナルブランドに、沼津の漁師の家庭の味を基本としたレシピを元に製作された「正子さんのさば醤油干し」があります。これは、昔から漁師の家庭で愛されてきた味を、無添加の醤油、砂糖、純米酒のみで再現したものです。今回の「私の逸品」でもある、2年前から販売を始めたこの醤油干しは、味がとても良いと好評を得、沼津ブランドに認定されました。

「正子さんのさば醤油干し」

この「正子さんのさば醤油干し」をはじめ、訴求力と消費者の期待に応える地力が、(有)ヤマカ水産の干物にはあります。この力をさらに伝え広めるため、毎週土曜日の午前中に、ピアゴ香貫店の裏にある自宅の前で干物販売をしています。直接販売し、多くのお客様に干物の魅力を伝え、体感してもらうことで、干物消費量の拡大につなげることが狙いです。

そして2014年の夏から、アジの開き体験教室を始めました。沼津のあじのひらきは有名ですが、その作り方を知っている人は多くありません。特に子ども達にとっては未体験のことだろうと考え、夏休みの自由研究としても取り上げられるよう、夏の開催としました。

アジの開き方を丁寧に教える小松氏

アジを捌き、開いた後、工場の設備で「あじの開き」が完成します。その完成までの間、社内見学や自社の商品を食べてもらう、というプログラムになっています。
干物作りを体験することにより、思い出として記憶に強く残ります。そして、スーパーで干物を見たら「自分も作ったことがあるもの」と愛着が湧き、魚のことを好きになるのではないか、また魚の消費につながるのではないか、というストーリーを描いています。このような、干物作りを体験できる場所の提供は、沼津の地場産業、そして干物の文化を守ることにも繋がるのではないでしょうか。

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小松氏が考えていることとして最後に挙げるのは「沼津の魚を使った干物づくり」です。干物は長期保存の観点から冷凍するのですが、そうするとなかなかふっくらとした食感の焼き上がりになりません。そのため、冷凍しても美味しく食べられる原材料を使うようになってしまいます。
この状況を変え、(有)ヤマカ水産の「沼津の干物」を作るため、良い状態のまま保存できる方法がないか、干物の加工にチャレンジを重ねている最中、とのことです。

さば醤油干しと認定書を手にする小松氏

かつては一般家庭の代表的なおかずでもあった、干物。しかしその消費量は、時代の変遷や生活様式の変化、食の多様化などに伴い次第に減ってきました。そのような中、いま一度世の中の干物に対する価値観を変えたい、干物の持つ様々な魅力や価値、ポテンシャルを引き出すため模索しながら会社を継続させていきたい、と小松氏は語ってくれました。

取材・記事:田中 玄徳 氏(㈱さなえ・沼津支部)

「行けば分かるから!」この一言で経営指針を創る会9期生として参加することになったのは、今から3年前の事。いったいどんな会なのか、何をするのかも知らずに第一回目を迎えたことを記憶しています。

「鎧を脱いで本音で語りましょう!」ということでしたが、そもそも「人様の会社のことを他人がとやかく言うべきではない」「自社の事を人様に言われる筋合いもない」との考えが強く、発言も他人事、自社の事も建前のみというスタンスが数か月続きました。そんな中、最初の合宿で様々な意見交換が行われ、私自身にも気づかなかった点を指摘いただき、自分の中で何か変化が生まれてきました。本音で語る大切さ、悩みを共有することによって解決の糸口が見えてくること、一人で考えて行動してしまうことの怖さ等、そこにはいろいろな学びがありました。

仕事の合間だけでなく、食事をしている時、風呂に入っている時、時間さえあれば、「目指すべき姿、そのための理念とは?」「会社の責任って何だ?」「10年後、どこにいたいのか?」と自問自答を繰り返しました。そして最後に完成した経営指針書は1年間、絞りに絞った純粋な一滴のような気がします。

指針書を基に、理念の説明、今後の方針を社員と話しました。何となくではあっても理解してもらっている感じがありました。そんな中、宮城同友会の創る会に参加させていただき、そこで、指針書を作成し、多少の実践もしていると勘違いしていた私の中に「小さな保険代理店が取引銀行や税理士を呼んで、指針の発表をするのもおこがましい」という逃げの口実があったことを指摘いただきました。考えてみると、まだまだ「実践している」とは言えません。目に見えて経営状態も良くなっていません。その反省を踏まえ、今年は、指針書を作成した時の初心を再度思い出し、今出来ることかが始め、実践を目指します。

経営指針を創る会9期生 増田 崇氏(㈲リアス・榛原支部)

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