【写真】松下恵美子氏

【逸品】紙の魅力の発信拠点「paper shop Teepee」

会員企業名 三協紙業㈱ 創業 1940年1月
会員名 松下 恵美子 業種 紙卸売・小売
所属支部 静岡支部 従業員数 正規8名
会暦 2010年4月入会 事業内容 洋紙、和紙、板紙、ファンシーペーパー販売

 

松下氏が代表取締役を務める三協紙業株式会社は、1940年に氏の祖父が前身となる「三協商会」を創業することから始まります。
三協商会は県内外に紙の卸売りを行っていました。
事業は順調に大きくなり、1952年には現在の「三協紙業株式会社」が設立されます。
1965年には国吉田に加工工場を設立し、当時近くにあった大手製紙会社のファンシーペーパーを断裁加工し、卸販売をしていました。

その後も紙の問屋としての事業は順調に推移してきましたが、三代目の社長に就任した松下氏は、価格競争になりがちな問屋という事業形態に限界を感じ始めます。
そして2001年、紙の小売専門店「paper shop Teepee(ペーパーショップ ティピー)」を開店します。
数千種類にもおよぶファンシーペーパーを取り揃え、結婚式関係の挨拶状や、ペーパークラフトに使う用紙をエンドユーザーに販売するようになりました。
その後、ペーパーパンチやゴム印等、様々な紙加工に関わる商材を取揃え、ペーパークラフトの教室にも力を入れるようになりました。
最近では最新のオンデマンド印刷機を導入して、小ロットの印刷サービスも始めています。


実際店舗に伺うと、まず何十段もある用紙棚がカウンター後ろに備え付けられていて圧巻です。

そして、数千種類にも及ぶ用紙に実際にプリントし、仕上がりがイメージできる用紙の見本帳も素晴らしい。

左手に進むと、テーブルと椅子が設置してあり、結婚式の招待状を作成しにきたカップルが用紙や加工の相談したり、簡単な教室ができるようになっています。

テーブル近くには、加工に必要なパンチやゴム印、インク等が陳列されています。

そして入口入って右手には、やたらと目を引くガンダムのプラモデルが!?

実はこのガンダム、紙でできているんです。
こんなニッチな世界があるのかと、ただただ驚きました。

今回、松下氏に私の逸品は店舗だと聞き取材に伺ったのですが、紙だけを使って、手帳や凝ったグリーティングカードを作ったり、果てはミニチュアの家を組み立てたりと、自分の知らない世界が繰り広げられていて、ただただ驚きでした。

そして店内は、木を基調とした内装が紙とマッチして、温かい雰囲気を醸し出してい
ます。




松下氏は言います。
「私たちは昔からずっと紙と寄り添って暮らしてきました。
紙の温もりを感じながら、紙と共にくらしを楽しむ。
そんな紙の可能性を伝えるお店でありたい」と。

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取材・記事:藤本 浩氏(プリントバリュー㈱・静岡支部)


依頼者のより良い生活・人生に寄り添った解決を

弁護士法人 こだま法律事務所

代表弁護士 土屋 賢太郎 氏(三島支部)

事業内容 遺言・相続、高齢者・障害者問題、債権保全・債権回収、企業法務 等の法律業務

設立   2010年

社員数  弁護士2名・事務員2名

入会   2014年3月

所在地  三島市大宮町3-20-23

土屋 賢太郎氏(中央)


弁護士を目指したのは幼稚園から

「プロとしての矜持(きょうじ)を持って仕事をする」という理念のもと、2名の弁護士が法律相談を行うこだま法律事務所。代表を務める土屋氏が弁護士に憧れを抱いたのは幼稚園の時。けんかが嫌いで、声の大きさや腕っぷしの強さではなく理屈・証拠・論理の積み重ねにより打開するところに魅力を感じたとか。
3年3ヶ月の勤務弁護士経験を経て2010年に沼津市にて独立。2013年に現在の所在地に移転、2014年10月に法人化しました。


依頼者に寄り添える体制づくり

設立当初は弁護士協会や法テラス(国が設立した法的トラブルの総合案内所)からの案件が依頼の大多数を占めていました。三島に移転後、異業種交流会への参加をきっかけに紹介案件が増大。紹介いただいた案件に多くの時間を使いたい、専門性をより深めたいという思いから、取扱い分野を限定するという決断をしました。じっくりと依頼者の話を聞き、依頼者の今後の生活や人生を想像し、紛争や問題をどのように円満に解決に導くかを重視しています。


法律事務所にも経営感覚を

 同友会をはじめとする異業種交流会で多くの経営者と出会い、「経営」と「仕組みづくり」の必要性を強く感じたという土屋氏。事務方も含め、所員全員の仕事の価値を高め正当に評価をしてもらうことが経営者の役目だ、という先輩会員からの言葉が頭に残っているといいます。
今後、こだま法律事務所をブランディングしていく上での課題として、情報発信強化・仕事のシステム化・弁護士の増員・異業種との連携強化などを挙げていました。

 

取材・記事:久保 修平氏(㈱和楽・三島支部)
取材:三田 宏一氏(㈲エムケイテクノ・三島支部)


お茶からコーヒーの世界への挑戦

㈱アラビカコーヒー

代表取締役 高村 巌 氏(沼津支部)

事業内容 コーヒー豆焙煎工場、スペシャルティコーヒー、業務用、小売店用と販売

創立   1974年3月

入会   2016年4月

所在地  駿東郡長泉町南一色186-8

高村 巌氏


お茶からコーヒーへ

 高村氏はお兄さんが三島でお茶問屋高村園を経営しており、約10年間お茶の仕事に関わり、嗜好品の世界を学びました。
 29歳の頃、兄とは違う道で独立したいという思いからコーヒーの世界で生きていく決意を固めました。扶養家族4人を残してコーヒーの焙煎の勉強を始め1974 年3月20日コーヒーの業務用卸としてスタートします。ところがコーヒーの市場は非常に難しい世界で、波乱万丈苦難の日々を送ることになったとのことです。


挫折と苦しみの日々へ

 お茶の倉庫を改装、更に50万円の借金をし、中古車を買い営業を始めました。1970年代は大手コーヒー業者が次々と沼津に営業所を構え、熾烈な競争が始まりました。その中での新規開拓は、最初は全く相手にされず後悔したこともありました。
 社員3人と妻、鳴かず飛ばずの10年間。とうとうチャンスが到来します。ある人の紹介で大手百貨店から声がかかり記念特売に催事として出店します。6日間のコーヒー販売を始めると売り場には長蛇の列ができました。その時の販売量は本社の1ヵ月に近いものとなり、コーヒーは近い将来家庭ドリップする時代がくると予感したそうです。


新しいコーヒーの世界へ

 1984年、資本金200万円の株式会社にし、沼津の仲見世にコーヒー豆専門店コーヒー問屋1号店を開店しました。当時デパート以外のコーヒー豆店はあまりなく、熱海、富士、修善寺方面からも買いに来られる方がおり、店は順調に売り上げを伸ばします。その後、直ぐに御殿場に2号店を開店し、業務用卸売りから豆売りにシフトしていったそうです。
 最後に高村氏は、継続は力なり、と語りました。

 

取材・記事:勝亦 悠一郎氏(菱友冷熱㈱・沼津支部)