66年前の記憶、原爆の悲劇を後世に伝える

カテゴリー:沼津支部

沼津の桑﨑支部長の母上、英子様を長崎から招いて、被爆体験を語っていただきました。昭和20年8月9日午前11時2分、長崎に投下された原子爆弾は、一瞬のうちに7万人を超える人々の命を奪いました。当時16歳だった英子さんは魚雷工場に勤めていて被爆、友人と逃げまどい、気がつけば自身の背中は真っ黒に焼けこげていて、腕も骨が飛び出すほどの悲惨な状態でした。当時の記憶も鮮明で、言葉の端々から伝わってくる惨状に、参加した会員は眉をひそめて聞き入ります。

グループ討論では、「私たちに今できること」を話し合い、小学生も交えて、平和を考える機会になりました。多くの犠牲の上に、私たちの今があります。