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2011年8月 静岡同友会の歴史を訪ねる 螢汽鵐瓮ぅ 吉川久雄氏に聞く
静岡同友会の歴史を訪ねる 螢汽鵐瓮ぅ 吉川久雄氏に聞く

【静岡同友会創立!】
静岡同友会は昭和49年7月27日、全国で17番目の同友会として創立会員71名で誕生しました。創立当時の静岡同友会は東部、中部、西部と3つの支部で活動し、昭和51年度末の東部の会員数は17名でした。今回の「会員訪問記」は創立当時の同友会活動を振り返って頂こうと、株式会社サンメイカの相談役である吉川久雄氏を訪問しました。同氏は、創立に携わった会員の一人で、同友会歴は静岡同友会と同じく今年で37年目を迎え、大正14年生まれの86歳です。
同友会と出会ったきっかけは、当時取引があった大手菓子メーカーの静岡支店長からのお誘いでした。「中小企業の経営者による勉強会があるから参加してみないか」と声をかけられました。当時他の経営者団体にも誘われていましたが、どうもしっくりせず、同友会の説明を聞いたときには、まさに自分にぴったりの会だと思いました。
創立当初から各地域で活発な例会が行われていましたが、一つの支部で大きなイベントを行うとことはできませんでした。



【きっかけは赤石氏の講演】
昭和50年代になり、他県からの講師を呼ぶことも徐々に多くなってきました。昭和55年、県内の若手経営者(青懇)で実行委員会を作り、焼津で第8回青年経営者全国交流会が行われました。このとき記念講演をしたのは、当時の東亜通信工業蠕崟亠素郢瓠文獣翔蔚相談役幹事)で、昭和50年に発表された「労使見解」に基づいて自社の労使の関係を率直に話していただきました。富士・富士宮の会員は皆この講演にとても感動し、それは富士宮支部をはじめ、東部の各支部の設立につながっていきました。
当時の例会は会員の自宅や、会社の会議室を借りて行い、会員自らで運営していました。例会のテーマは、経営計画、不良債権回収、労使問題、経営理念、景気見通し、節税対策等でした。例会の内容の充実と共に会員数も増え、昭和58年に富士宮支部が富士支部から独立する形で誕生、翌年の昭和59年には駿豆支部(現在の沼津・三島)と各地域に広がって行きました。
昭和60年に御殿場支部、志太榛原支部、昭和62年に清水支部、熱海支部、平成元年に三島支部、沼津支部が誕生し、委員会も発足、地域での学びと共に、より専門的な知識を求める会員も増えていきました。また、県内会員数は、昭和60年418名、昭和62年546名、平成元年は745名と、焼津青全交が行われた昭和55年の215名から10年で3倍強の会員数になりました。
各地で行政との関わりが深まってきたのもこの頃です。同時に地域社会の問題に目を向け始めました。労使見解にもあるように、中小企業は常に地域と共にあります。平成5年に富士支部では地域社会への貢献の一環として同友会祭りが始まりました。



【常に地域と共に歩む】
吉川氏も、富士支部で学びを深め、新しい中小企業像を求めていくなかで、昭和59年に伝統のある浜松の明月堂、静岡の芋倉、富士の角屋が合併し、螢汽鵐瓮ぅを設立しました。同友会で学んだ時代をみる目と、従業員と経営者が共に育つ精神を実行し、地域と共に歩む経営を貫いた結果でした。会社を始めたころは、朝起きて革の鞄にお菓子の見本をたくさん積めて、バイクに乗って一軒一軒お客様のところを回りました。会社に戻ると夜遅くまで伝票を起こし、翌日の荷出しに備えた毎日でした。創立者として寝る間もおしいと思っていた日々を振り返り、改めて今日の同友会の発展と自らの数々の経営体験を振り返り、感慨深いものがあると語っていただきました。現在、螢汽鵐瓮ぅはK&Kサンメイカ国分株式会社となり、その社長である吉川隆裕氏は吉川久雄氏のご子息です。
取材:竹内昭八氏(富士宮支部)
中村琴美(事務局)




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