何でもできる土建屋社長の挑戦と実績

㈱鈴木土建

代表取締役 鈴木 徹氏(榛原支部)

事業内容  土木・とび・石工・舗装・しゅんせつ・造園・建築・水道・鋼構造物・管工事

創業    1928年(昭和3年)2月

設立    1971年(昭和46年)11月

社員数   正規15名、パート3名

入会    2002年5月

所在地   牧之原市堀野新田161

URL    http://www.s-doken.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河内氏(左)、鈴木氏(中央)、今野氏(右)

代表取締役へ就任して20年

御前崎との市境に近い、牧之原市にある同社は官公庁・民間の土木工事をはじめ、とび、石工、舗装、造園工事など多岐に渡って建設業を営んでいます。昭和3年に祖父が創業、昭和46年に先代の父が設立しました。鈴木氏は大学卒業後、榛原支部会員のカネ正建設㈱で3年間修業をしたのち26歳で入社、現場経験を積んでいきました。9年後、官公需も伸びた時代で売上は安定しつつも、社内の財務体質をより強靭に見直す必要があり、35歳で代表取締役に就任しました。

自社の強みで事業領域を広げる
時代の変化とともに従来の事業だけでなく、建築業にも進出しました。これまで幾度なく扱ったコンクリートの技術とノウハウの蓄積を、鉄筋コンクリート(RC)の戸建住宅に生かし、安全で快適な住空間と環境に優しい住宅を提案しています。コンクリート壁を内外から断熱材で挟むW断熱型枠工法に着目し、断熱効果はもちろん、お客様の費用軽減と工期短縮にも繋がります。この工法をさらに応用した、地下室一体型基礎の造成。高気密・高断熱、採光や通気性にも優れ、地下室の天井にあたるコンクリート床版が従来の建築基礎を供用するため、床面積が増えても総合的に価格、経費を抑えることを可能にしました。

活路は自らの行動で引き寄せる
経営理念は「『より良いものをより安く、より早く、より安全に』を基に誠実と創造で社会に貢献し、地域の人々と共に明るく豊かなまちづくりと、自らの生活の向上を目指します」。事業領域を広げていくなかで社員の資格取得を積極的に応援しています。一級土木施工管理技士7名をはじめ、一級建築士、建築・造園・管工事の一級施工管理技士、コンクリート診断士などの資格者を有しています。
「何でもできる土建屋」を目指し、80年以上の実績と地域の方々に支えられて来ました。社長の仕事は社員と家族を守り、お客様を満足させる為に、常に時代を読み進むべき航路へ舵を取る事。その「経営の道」を拓くには、積極的な同友会等の活動が重要であると語りました。
取材:河内 崇文氏(㈱スマートブレイン・榛原支部)
今野 英明氏(光誠工業㈱・榛原支部)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月20()、富士市文化会館ロゼシアターにて富士支部3月例会が開催されました。「経営指針を創る会参加者が語る」をテーマに、㈲望月・望月光太郎氏、フジゲン㈱・渡辺直俊氏、草ヶ谷燃料㈱・草ヶ谷力氏、㈲雨森新聞舗・雨森壮一朗氏の4名が登壇しました。県同友会で開催した約10か月間の第10期経営指針を創る会を受講し、それぞれの経営指針に対する経営者としての思いや気付き、学びを語りあいました。創る会を経て、お客様や従業員、地域への思いを指針に落とし込み、全社員がこの会社で働いてよかったと思える会社をつくり、経営者自身の思いと行動がぶれない経営をしていきたいと今後の展望を発表しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月19()、ひぐらし会館にて伊東支部3月例会が開催されました。「飲食業界における価格と消費税」をテーマに、望月英男氏(()望月商事)が報告者として登壇しました。

望月氏は、伊東市で約50年前からスイーツの名店として知られる喫茶店「WAKABA」を経営しています。地元6割、観光客など外から来られるお客様が4割。来店していただいた方へ、納得と満足を感じていただく味と量と価格を提供してきました。4月からの消費増税を控え、消費税増税分の価格転嫁や、原材料費など仕入れコストを加味し、適正価格について参加者全員で話しあいました。最後に、今後もさらに気軽に寄ってもらえるお店づくりを目指し、サービス・笑顔の品質をあげ、より喜ばれるお店にしていきたいと語りました。

左:沼倉氏 右:佐野氏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月7日、会館志ほ川バイパス店にて富士宮支部3月例会が開催されました。「新社長さん出番ですよ」をテーマに佐野博之氏(()佐野金型製作所)、沼倉稚文氏(沼倉工業())の両氏がそれぞれ報告者として登壇しました。

佐野氏は、自動車・電気部品のプレス金型設計、製作を手掛けています。9812月に入社し、専務取締役が0512月。それから外部環境は大きく変化しました。現地生産・現地調達で国内市場は激減。円安による価格競争力の減退、工作機械の発展による技術的な優位性の損失など国内の業界を取り巻く環境は必ずしも上向きではなくなりました。専務就任から7年後の2012年7月、代表取締役社長に就任しました。地元富士宮の地で、同社の培ってきた金型技術を若い世代に継承していくことを目標に、金型職人を育て、世界の金型を日本に戻せるよう、金型屋の社長をやっていく強い決意を語りました。

沼倉氏は、プレス機械加工、スポット溶接をはじめ、自動車や冷蔵庫、バイク等の部品製造を主に手掛けています。代表取締役就任は2013年4月。自動車部品の生産拠点が海外に移っていく影響を受けました。それでも赤字を出さないこと、長く働いてもらうこと、家族を幸せにすることなどを目標に掲げ、会社の存続と発展に全力で取り組んでいます。経営者としての資質と人間性を高め、知識と技術を向上させ、従業員と共に成長していきたいと語りました。

【表紙写真】㈲メイトテクニカルセンター 熊田重紀社長

会員企業名 ㈲メイトテクニカルセンター 設立 1986年
会員名 熊田 重紀 業種 4輪・2輪車用ゴム部品製造業
所属支部 磐田支部 社員数 社員2名・パート9名
会暦 1990年2月入会 事業内容 ゴム部品射出成形

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原料のゴム

 

一早く自動化に着手
袋井市で国内生産される4輪・2輪用ゴム部品製造を行う熊田氏。この機械はゴム部品を製造する際に射出成形を自動で行うことができます。車体全体に関わるゴム部品製造を扱う同社の創業は1986年。それまでは磐田にある輸送用機器メーカーの技術職を勤めていました。社名の由来は、前職と自動車メーカーを参考にして名付けられました。独立当時も今も、同社の規模で射出成形を業とする企業は多いです。その中でも熊田氏は創業当初から製造の自動化に一早く着手しました。技術畑を歩んできたので、機械を一から組み立てました。射出されたゴムを金型から作業員が手で取り除くことも多く、機械に人が張り付いていなければならない業界の現状を知っていました。効率的な生産を追求するためには、何より自動化が必須でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

射出後のゴム部品

 

ゴムの射出成形
原料であるゴムは大きく2種類あります。一つは天然ゴム、もう一つは人口ゴムです。細かな種類を挙げると、扱う原料のゴムは20種類以上にもなります。受注先によっては有償支給もありますが、自社調達も多いです。石油製品のため仕入れ価格が変動し、今は高騰していると言います。車体箇所によって使われるゴムの材質は異なります。ベルト、ブロックの形状、黒や赤色など様々です。ベルト状のゴムは射出機に送られ、摂氏80~90℃のゲル状にします。溜まったゴムは射出圧を加えて金型に押込み、充填し成形されます。この時の温度は60℃まで下がります。射出されたゴムはすぐに出荷できる状態ではありません。出荷前に部品としての精度を高めるため、バリ取りを行います。この細かな作業は熟練のパートさんや内職の方々にお願いをしています。

 

技術をお客様の信頼に繋げる
業界を取り巻く現況は決して楽なものではありません。原材料の高騰、国内生産の減少、為替変動などに左右されることも少なくありません。リーマンショックでは全国の多くの製造業と同じく厳しい状況にさらされたこともあります。改めて自社の立ち位置、外部環境を分析し、業種形態を多様化させることも思案の一つに考えています。ゴム部品製造の傍ら、機械を一から作った熊田氏の技術力は、お客様から別の側面でも信頼されています。ちょっとした修理の相談や依頼をされた際は快く伺い、お客様や取引先の生産を止めないことに尽力しています。創業当時から意識した自動化の考え方は、今では同社になくてはならない部品製造の技術と生産効率を高め、そして熊田氏の技術力はお客様にとってもなくてはならない存在として認められています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左・鈴木 弘之氏(取材者) 右・熊田氏

「経営指針とともに自分自身に生ききる」

私は5年前、経営者としての覚悟が決まらず、漠然とした大きな不安を抱えながらも、なんとかその糸口をつかみたいとの思いで、経営指針を創る会に入りました。そして、勉強が半ばを過ぎたころに父から事業継承をしました。創る会は「経営者としての覚悟」を決めさせていただいた場所でした。

卒業して5年。経営指針は経営者と社員の魂の入った人生の指針だということがやっと実感としてわかってきた今日この頃。人生という荒波に挑む同じ船に乗った仲間のための航海図。それを全社員で作り、全員でその目標に向かって進んでおります。

昨年から経営指針を「富士山マップ」というさらにわかりやすい形(一目でどう富士山の頂上を目指すのかがわかる)に進化させました。

5年前までは、「頑固でプライドが高く、文句ばかりの偏屈な熟練職人」と私が思いこんでいたある一人の社員。腕は業界でもピカいち。経営者となってから彼の心を見つめようと努力しました。そして、彼の技能と心を形として後継者に残そうという取り組みをはじめ、彼に二人の若者の育成を任せました。今では、後輩の成長を自分の喜びとして目を細めながら指導する彼がいます。5年かけてやっと心が通じました。

先日、ある男性社員は、「お客様にお届けする製品を愛する家族と同じように扱おう!」と朝礼で話をしてくれました。ある女子社員は、思うように現場が動いてくれないことに、「お客様のことを考えたら、もっと他の方法があるはずじゃないか。」と涙を流しました。社員の成長を感じる時・・・それが経営者の喜びであると実感する瞬間。

どんな状況になろうとも、社員一人ひとりを信じ抜き、その人生を背負っていくという信念は、私が創る会で決めたゆるがぬ覚悟です。経営指針を我が魂として、社員とともに進化し続けていくことが、「自分自身に生ききる」ことと胸に刻み、挑戦していきます。

父子で会社の未来を考える

浜松資材㈱

代表取締役社長 秋山 久武氏(浜松支部)

事業内容 プラスチック製品製造業(ポリウレタン製耐震マットの製造販売)

設立  2010(平成22)9

社員数 正規3

入会  20128

所在地 浜松市南区飯田町319-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左・英正氏(息子) 中央・久武氏(社長)

繊維染物業からの転身
昭和47年から繊維の染物業を営んでいた秋山久武社長。
時代の変革と共に、環境に配慮した多大な投資(排水等)を要することとは矛盾し、繊維業が浜松から消えていく中で、平成22年、取引銀行の紹介もあり一大決心をし、ポリウレタンマットの開発及び製造販売業へ転身したそうです。
ポリウレタンマットは、揺れの吸収や転倒防止を目的にテレビやパソコンなどの耐震マットとして使用される製品で、耐久性、安全性、粘着性、難燃性、耐候性、絶縁性、引っ張り強度にも優れ、販社を通して全国に広く普及しています。

震災後、経営状況の問題意識へ
平成23年に発生した東日本大震災直後には、需要が増大しフル操業の日々を送っていたそうですが、現在は当時の5分の1程度まで低下しているそうです。
これは私感ですが、万が一の備えは有事の有無に関係なく行いたいものです。
このような状況下において、染物業からの転身ということもあり現業における商品開発力(ノウハウ等)が弱いこと、販社1社への依存率が高いこと、流通チャンネルが乏しいことなどの問題意識をもって秋山社長は経営の陣頭指揮をとっていて、昨年には他企業に勤めていた息子さん(英正氏)を会社へ招き、今後へ向けてのテコ入れの第一歩を踏み出されています。

息子さんと二人三脚で
取材時に同席いただいた英正氏から、「勤めていた時と経営は違う!まずは業務の勉強、次に人脈作りや経営の勉強等に力を注ぎたい」と伺い、経営者の血が流れていると強く感じたと同時に、今後とも共に学び共に成長したいという思いを胸に、浜松資材さんを後にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左・久武氏(社長) 右・英正氏(息子)

取材・記事:永井 忍氏(社会福祉法人復泉会・浜松支部)

新聞の魅力発信

㈲望月新聞堂

代表取締役 望月健太朗氏

事業内容 新聞書籍販売及び配達

創業  昭和4010

社員数 30名、パート10

入会  2012年4月 名義変更

所在地 田方郡函南町間宮341-3

URL:http://www.mochizuki-news.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左:望月氏

3代目社長
昭和40年に祖父が知人から新聞店を譲り受けて創業しました。会社は祖父から父へ継がれ、平成元年に法人化しました。望月氏は他社で修業を経て、2012年に3代目代表取締役に就任しました。
同社は県東部の三島市、伊豆の国市、函南町を中心に、約8000世帯に新聞を配達しています。悪天候の日でも毎朝25名の社員が配送に向かってくれています。お客様に新聞を届け、会社へ無事に戻ってくるまでが配送の仕事です。災害や天候時でも社員の安全と、お届けするお客様に迷惑がかからないような仕組みを確立していきたいと考えています。

新聞を手にしてもらいたい
配達する地域のお客様の年層は高くなっています。そのためインターネットのニュース情報よりも、紙媒体としての新聞が好まれる地域と言えます。しかし今後は新聞購読者の減少を懸念しています。例えばマンションに居住する人は1階のポストまで取りに行く手間を考えてインターネットの情報で済ませてしまうことも予想されます。そのため近年は新聞を知らないまま育つ子どもたちも増えています。
世帯の新聞離れが懸念される中、新聞に触れてもらい、魅力を感じてもらうことが大切です。同社では他社と連携してお子さんがいる世帯を主な対象に、楽しく学べる読み方セミナーや、新聞社見学ツアーを実施しています。

存在感のあるものに
自分の後ろには30名の社員、その後ろには家族も合わせて120名の人がいる。その人たちの面倒を見ていかなければいけないと先代の社長から聞いていました。望月氏が幼い頃から働いてくれている社員も多数います。社内コミュニケーションを密にしながら、地域に根ざし、信頼される会社をめざしていきます。地域の情報をお届けする役目と使命を持ち、新聞を手にしてもらうお客様を増やしていきたいと、意欲的に語っていただきました。
取材・記事:永沼 純子氏(山ト食品㈱・三島支部)
取材:高木 基氏(バリュー・トーカイ㈱・三島支部)

 

佐野副代表理事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月1日(土)、静岡市のクーポール会館にて会員41名が参加して役員研修会を開催しました。開会挨拶で遠藤代表理事は、役員として活動に積極的に関わり、同友会理念に近づいた企業経営になってきたと挨拶しました。前半は、同友会運動の歴史と理念について、佐野副代表理事が登壇しました。同友会理念は3点。一つ目は3つの目的(よい会社、よい経営者、よい経営環境をつくろう)、二つ目は自主・民主・連帯の精神、三つ目は国民や地域と共に歩む中小企業です。佐野氏からは、同友会は良識ある経営者集団として会の全ての活動を通じて同友会理念を実践し、実現していく中小企業家の運動体であると力強く参加者に説明しました。後半は、河原崎副代表理事から同友会における役員とはどんな意味を持っているのか説明しました。役員になることは同友会理念を追い求める人になれると言います。また代議員の意を持つ役員は自らの中に幅広い考え方を持つことができると報告しました。
両氏の発表のあと、支部活動に同友会理念は生かされていますかをテーマに6グループに分かれてバズセッションを行いました。各グループ発表のあと、知久代表理事から、役員として会活動に自ら出ていくことが第一歩。役員になることは、同友会のめざす3つの目的に謳う、よい会社、よい経営者により近づくための権利を与えられていると思ってほしいとまとめました。

 

討論を深める役員