藤原組織拡大推進本部長による、イントロセミナー。会で学んで自社を変えてきたその変遷と、会のよさを会外へ広げることの意義を報告しました。藤原氏も独立創業当時は、現場仕事に集中し、会への参加も数えるほど。けれども参加するにつれ、経営の悩みに答えてくれる人が現れ、この人のやっていることを真似てみようと思うことが増えていきました。

工業団地へ進出する時も背中を押してくれたのは、他県同友会の仲間でした。所属支部にとどまってしまうのではなく、全県・全国へと学びの場を求めていくこと。学んだことを持ち帰り自社で実践し、いい会社をつくり、それをまた会へ還元しましょう!そう力強く語りました。

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「同友会と私」をテーマに、浜松支部長の永井忍氏(社会福祉法人復泉会)が、ファストフード店勤務時代から独立創業に至った経緯、それから現在の社会福祉法人にかかわって、250名を率いあらたな仕事づくりに挑戦する今を語りました。

 

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「もっと全国へ出る機会を持ちたい」「意見交流することで発想力が豊かになる」と、グループ討論で前向きな気持ちになれたとの感想がでました。

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県同友会設立40周年記念特集 設立メンバーが語る同友会

第二回 勝又 悦朗氏(同友会顧問・元 青島文化教材社・静岡支部)

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【過去】県同友会のスタート
~記念すべき中小企業家自身によってつくられた中小企業家の会の発足~

戦後荒廃した国土の中で、生きんが為中小企業家は真っ先に復興に立ち上がりましたが、1946年12月占領政策で、基幹産業の大企業を優先的にする事となり、中小企業は資材、資金、電力などの不足状態になりました。

産業復興が一段落した1955年以降、日本経済は二桁成長となりました。途中「二重構造論」が問題となりましたが、現実には大企業成長政策に重点がおかれました。

1970年代には高度経済成長は過熱し、加えて米の金ドル交換停止のドル防衛策ショックによる株価暴落、1971年12月20日初の円切り上げ1ドル308円と円高が始まりました。1973年10月には石油関連会社5社が10%の原油値上げを通告、石油ショックの始まりです。中小企業の資材の確保はピンチとなりました。

10月末には尼崎市の某スーパーでトイレットペーパーに消費者が殺到、パニックが起き、たちまち全国的に生活物資の買い占めが拡がりました。

1973年中に全国の平均地価が32.4%上昇。
1974年1月には東京都区内の消費者物価、前年同月比20.4%上昇。
1974年4月には春闘共闘委81単位600万人、史上最大のゼネストを決行しました。
1974年11月には私鉄、国鉄など59単位355万人が統一ストを決行しました。

こうした狂乱物価、物情騒然の外部環境の日々の中で、中小企業家が自らの手で難局に立ち向かう会を結成したことは記念すべきことと思います。

高度経済成長が終焉してこれからは数%の成長しか望めない「物と情報の過剰時代」に突入したこの時こそ、中小企業家の自立した活動が出番だったのではないでしょうか。

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さて、静岡同友会発足当時を振り返ると、中同協と静岡では異なる点がありました。当時の中同協は、国吉昌晴氏、田山謙堂氏、大久保尚孝氏が「学びの会を創る」と暗中模索の中を奮闘していましたが、静岡同友会は、「知り合い、学び合い、助け合う」のうち「知り合う」を重視し活動していました。

今のように例会で「我が経営を語る」が定着したのは、全国行事を静岡で開催したのがきっかけです。静岡県では知り合うことを重視していた当時、赤石義博氏が唱える「他の経営者の生き様を学ぶ」は中同協の基本姿勢となっており、また「学び方を学ぶ」という考えも全国に広まりつつありました。この学び合いの姿勢は静岡にも徐々に定着していきましたが、なかなかグループ討議までには至りませんでした。それが、全国総会を静岡で開催した事を機に中同協の姿勢や手法が浸透し、今のスタイルが自発的に定着していきました。


【現在】三つの目的で2,000名以上が参加した40年の同友会運動
~何のために経営をするのか?の問いかけ合いや経営指針づくり、自主・民主・連帯の日常的な実践をしています~

同友会設立から40年が経過しましたが、その間に入会された方は2,000名を超えるものと思われます。入会も大会も個人の意思決定によるもので、自主の基本理念で尊重されています。同友会の三つの目的や、自主・民主・連帯の基本理念、知り合い、たすけ合いの活動に触れられた方々が2,000名以上おられることは、心強いです。
退会した方もいらっしゃいますが、同友会では入会と同じく退会も会員の大切な「自主的な意思決定」であり、この自主性を大切にした結果です。自主でなければ、個々の力を会の力として発揮する事はできません。会勢が1,000人を超えた頃を振り返ると、会員各位が同友会を「自分の会」として捉え、各々が我が事の様に考え行動していた、即ち各々が「自主」で動いていた事の結果だと考えています。

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最近は「同友会はどうゆう会?」の声より「同友会で何をするの?」と参加の話が聞こえてくるように思います。
同友しずおかで毎号紹介される「新会員さん紹介」の欄に涙が出るくらい喜びを感ずるのは歳のせいかもしれませんが、若く溌溂とした皆さんが自社の発展と同友会の活動を合体させて飛躍されることを期待しています。

いま同友会は何をしようとしているか?は、月1回発行される『同友しずおか』と、月3回発行される『中小企業家しんぶん』で知らされています。
日々の仕事で時間が惜しいかもしれませんが、皆さんも是非、毎号封を切って目を通されることをお勧めします。特に6月5日号の『中小企業家しんぶん』定時総会議案書はお勧めします。

本年度の課題と活動方針では、第一節の企業づくり、第二節の日本経済と地域づくり、第三節の同友会づくりは見逃さないようお願いします。


【未来】中小企業憲章実現にかかっています。
~新しいコト&モノづくりと人づくりを成功させましょう~

明日からの未来で気になるのは戦争です。為政者が「平和のために」を叫ぶときは、鳥肌が立つ思いになってしまいます。これは「東洋平和のためならばなんで命が惜しかろう」の軍歌を唱わされていたからかも知れません。最近ケーブルテレビでヒットラーが国民の絶対的支持を受けるまでは「平和を断固守る」大演説をしていました。またベトナム戦争についてニクソン大統領は「我々の平和と民主主義の為」の戦いは終わった、と終結宣言をしていました。70年、一人も殺さず、殺されなかったのが本当の平和であり、持続されますように。

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未来を語るとき、叫ばれているのは「少子高齢化」です。30数年先には人口1億人になり、市町村に人が居なくなるところが続出すると予想されています。私は、人口7,000万人の世代に生きていましたので、人口が減って命までとられる事は無いと確信しています。

ただ、人口減少は様々な分野で変化が目まぐるしく起きてくることが十分予想されます。同友会が未来に向かって「新しいコト&モノづくり」に力点を置いた活動が待たれます。「憲章」の実践になるものと思います。

(1)事業連携による新製品&新市場づくり

企業連携研究会は、県専門委員会では最多数の委員の皆さんで活動されています。皆さんが明日への展望を語り合いながら創造的な開発テーマを出し、広く全会員に参加を呼び掛けて研究開発を実らせていけたらと思います。

(2)連携して人を生かす経営を

共育委員会、経営労働委員会、障がい者問題委員会、共同求人委員会、同友会大学、小松ゼミなどでは、人育ての活動をしています。中同協で提唱している「人を生かす経営を推進する三位一体」の考え方で、これらの人財に関する会の連携を強めましょう。

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このように、これからの同友会に期待するのは、自分づくりと他人づくりの両面における「人づくり」、学び合いの精神の深化です。また、人口減少や少子高齢化による情勢変化には危機感を覚えますが、同友会としてどのように対応するかを考えていくべきだと思います。情勢変化の中で求められるのは新しいコト・モノづくりです。会員の仕事を見ると、いろいろなビジネスの芽があります。これらを核とした「同友会ビジネスづくり」を期待します。情勢の変化は悪い事もあれば良い事もあります。時間が変われば、その時の常識も変わります。大切なのは、外部環境の変化に適応すべく人間の叡智を結集する事です。

高度成長期の終焉と同時に訪れたモノと情報の過剰時代の中、世の中は肉体労働から頭脳労働へシフトしていきました。現代もまた「知恵を出さないと仕事にならない」という時代ですが、人間尊重のためにもやる事はたくさんあります。年齢や会歴を問わず、皆の智慧を結集し、同友会を益々発展させてほしいと思います。

同友会を一言で表すならば、「人間尊重の会」です。これは他の会に無いものであり、人間尊重の一貫した姿勢こそ、同友会の最大の特徴です。経営者と社員さんが共通の目的を持って共に成長し、人間尊重経営を追求して頂く事を願うものであります。

インタビュー:青山 達弘氏((株)青山建材工業・静岡支部)

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【表紙写真】富士石材 清野 恭成代表

会員企業名 富士石材 設立 1962年(昭和37年)1月
会員名 清野 恭成 業種 窯業・土石製品製造業
所属支部 富士支部 社員数 正規5名、パート3名
会暦 2014年3月入会 事業内容 墓石の設計、製造、施工、販売

老舗の看板と確かな技術

今回は、富士市竪堀にある富士石材にお邪魔しました。昭和39年創業、今年で50周年を迎える老舗の石材屋さんです。墓碑・記念碑の製作や字彫りを中心に、各種石材加工品の制作を手がけています。代表の清野恭成氏は10代からこの事業に携わっており、そのキャリアは30年を越えるベテランの職人です。同友しずおかの表紙は、その確かな技術を活かした石材加工製品です。

石材に対する想い

「この石は柔らかいんですよ。」最初私には、清野さんが何を言ってるのか良くわかりませんでした。いくつもの石材サンプルを前にして、それぞれの原産地、石の色や特徴、光沢の具合などを説明して頂くことで、おぼろげではありますがそれぞれの石が持つ特色を、わずかながらつかめたような気がしました。

お墓というのは、一生に一度あるかないかの買い物です。そして建ててしまえば1000年は保つほど耐久性に優れたものです。購入する方が納得し、安心し、満足できるものを提供できるように、富士石材ではこのようなサンプルを用意したり、産地証明を発行するなど「わかりやすいお墓づくり」をモットーとしています。

同時に、墓地という神聖な場所で作業をするという意識をもち、墓石の扱いはもちろん、器具や道具の扱い方ひとつまで細やかな配慮を欠かさずに作業を実施しています。

地域密着型営業

富士石材では、ボランティアで各所のお寺さんの墓地を清掃しています。だからといってその作業が売上に繋がることは全くないそうです。では何故そうしているのか、それは信用が全てだからということです。この仕事は、一旦信用を失ってしまうと10年は取り返せないと清野さんは言います。

売上のほとんどを占める一般のお客様は、一度購入されれば次の購入はありません。しかし富士石材には常にお客様からの注文が入り続けています。何故でしょう?それこそが積み重ねた信用による口コミであり、お客様からのクレームを大事にして、それを業務にフィードバックしている成果でもあります。

同友会との関わり

清野さんは、まだ入会1年目の新入会員です。しかし多くの委員会や部会に積極的に出席し、学びを得ています。「同友会では色んな業種の方とお話ができる。成功体験だけじゃなく、失敗談も話してくれてそれが非常に参考になる。そして自分がわからないことを質問すると、みんなで答えてくれる。」そう話していました。そんな清野さんの課題は若手の育成です。石材加工というハードな作業に従事する若手が非常に少なく、育成はかなり難しい問題になっています。しかし同友会活動もまだ始まったばかりです。今後の活動を通じて打開策を見出せることでしょう。

石材の研磨は、間近に見るとかなりの迫力!

曲面に磨く工程をはじめ、手作業によるところも多いそうです。

取材・文:望月光太郎氏((有)望月・富士支部)

老舗電器店の四代目、未来へのスイッチオン!

松屋電気商会

稲原 研氏(富士宮支部)

事業内容   家電製品販売・設置、住宅リフォーム・耐震補強

創業     1919年1月

社員数    5名

入会     2005年8月

所在地    富士宮市大宮町16-15

URL    http://www.geocities.jp/matsuyap


稲原氏(右)・田邉氏

大正8年創業の老舗電気店の後継者として

稲原氏は昭和42年東京生まれ。平成2年に大手建設会社に入社し、平成12年に結婚。

その後、奥様の実家でもある富士宮の老舗電気店が後継者不在であったことから転職を決意し、平成17年に富士宮に移住しました。同年、勉強できる良い団体と聞きつけ、同友会に入会。翌年には前職の経験を生かし、建築設計事務所を開設しました。

同友会の学びも深まらず、退会の危機!?

しかし、当時まだ自身が経営を担っていない事や、二足のわらじ状態だった事もあり、同友会での学びが不十分で実践に活かせず、自問自答の日々だったと言います。さらに自身の勉強不足を会の有り方に問題があると責任転嫁をしたため、中々活動に打ち込めず、幽霊会員となり一時は退会寸前までいきました。

仲間の真剣味に触れ、稲原スイッチオン!

転機は平成24年の支部総会でした。当時の青懇部長が会員の気の緩みに対して激を飛ばした様子を見て「真剣な方がいるんだ!」と感激し活動を再開。熱心な姿勢が評価され昨年からは例会企画委員として役員になり、支部はもとより、県、他支部、そして全国へと活動の幅を広げています。役員経験の重要性にも気づきました。さらに、今年3月の震災復興シンポジウムの際に赤石中同協顧問と運命的に席を隣合わせました。様々な話をする中で改めて同友会運動の奥深さを目の当たりにし、「同友会の真髄の話を」と呼びかけ、支部例会で赤石氏の講演が実現しました。

歴史とつながり。未来へ。

「まちの電気屋さん」「建築設計業界」どちらも決して楽な景況ではないが、ニーズは無くならないはず。「中小企業ならではの細やかなフットワークでお客様の不便を解決しよう!」と、着々と学びの実践を開始しています。また、将来は現在の事業を融合した、「富士宮版エネルギーシフト」を実現させ、持続可能な地域づくりをしたいと夢を語ります。

「人口減少社会となり、時代は確実に変化する。だが、地域のあり方を一緒に考えられる仲間として同友会が存在し続けて欲しい。」「20年後、30年後、あの時、同友会に入ってよかった、と思えるようになりたい。」そう語る稲原氏が平成25年に支部の仲間と創った経営理念には「歴史とつながり」「心豊かな暮らし」という言葉が刻まれています。それらは行動の大切な芯として息づき、老舗の四代目として、個店の魅力と人間味を未来に伝えていくことでしょう。

取材・原稿:田邉 元裕氏(㈲カボスメディアワークス・富士宮支部)

人財育成で成果の出せる組織づくりをサポート

㈲キャリア・アップ

代表取締役 須山 由佳子氏(浜松支部)

事業内容   経営者・管理者研修、新入社員・中堅社員研修、コーチング講座、組織活性化・チーム力強化・報連相研修等

設立     1994年1月

社員数    正規1名、パート1名

入会     2010年12月

所在地    浜松市東区上新屋町228-2

URL    http://www.career-up.co.jp/


須山氏(左)・杉本氏

人生の可能性を見出す

約3年の銀行勤務を経て浜松の大型小売店に就職しました。お客様と最前線で接する業務を行っていたある日、上司から接客研修を薦められました。これがきっかけとなり、正社員に登用、教育トレーナーとして、各店舗の新人・既存スタッフらに研修を行いました。一歩ずつ成長していく自分の可能性を実感できたと言います。その後中小企業を対象とした経営コンサルタント会社に入社。営業から研修、そしてフォローまで一貫業務を体得しました。そして平成6年、「社員一人ひとりの可能性を引き出し、やる気集団を創造する」をモットーに独立しました。

より具体的な数値的成果を発信する

設立して10年後、転機が訪れました。体調を患い手術を受け、5年に渡る治療で、体力が落ち気力が空回りする時期が続きました。もはや一人では限界で事務処理・資料づくりを行ってもらう社員を雇用する必要がありました。現在は「組織を元気にするサポートをして、いかに数値的成果に結び付けるか」を研修の礎に、シリーズ立てて研修を提供しています。特に、組織内でリーダーが部下を巻き込む研修が得意とのことです。成果は本当に出るの?など鋭い質問に答えていくために、残業時間の削減、売上増、ミス低減などの成果数値で捉え、HPやニュースレター等で発信しています。HPはアクセス数、人気ページ、検索ワードを解析し、月次の定点観測で社員と共有を図っています。

社員と共に会社を創り上げていく

須山氏は研修に出会い、自分が変わり、自分の可能性を感じました。そして人が持つ可能性を引き出すことに生きがいを重ね、現在に至っています。4年前に同友会へ入会して第8期経営指針を創る会を卒業しました。同期やスタッフの協力の下、自社を徹底的に見直しました。経営方針はラミネート加工して社員に渡し、達成に向けて話し合いも定期的に行っています。最近はHPからの依頼も増えていると言い、少しずつ成果に結びついてきました。理念の一つ、トップダウンでなく、社員は我が社のパートナー、社員と共に会社を創り上げていきたいと語りました。今年はアタック25で会員訪問をし、参加者の多い例会を実現させたいと浜松副支部長としての決意がありました。

取材・原稿:杉本 敏雄氏(㈲浜名シスコム・浜松支部)


広浜 泰久 中同協幹事長

全国一となる支部増強92名増を達成した、京都同友会の坂平前下京支部長が、増える体質の組織づくりを報告しました。交流中心であった支部活動を学び中心のものに変え、会員訪問の実施や個からチームへ面の活動を展開。学べる例会づくり、新会員による早期例会報告や居場所づくりと集中的なフォローにより、一体感と連動性が生まれ、増強を果たしています。

熊本同友会天草支部は、2013年3月に地域のキーマンを核に設立、期末76%増と増強率1位になりました。横山天草支部長は初年度、純増目標を達成できなかったことにこだわり、支部指針書に2015年度末100名達成を掲げ、若手経営者育成で地域経済の担い手を増やし、天草の元気を作ろうと奮闘しています。語り部たるリーダーの熱意と、目標達成へのこだわりが成否を分けると実感しました。

徳島同友会の山城代表理事は会員満足が増強の原動力であると、役員全員が経営指針の成文化に取り組み、企業づくりに専念しました。3時間かけて行う例会では、経営体験報告にこだわり討論を実施。労使見解の精神や、会員のサポートに感激し退会が激減。達成可能な目標設定や、当たり前のことを当たり前にやる事で新たな増強の道を切り拓いています。

チームで考えチームで追及し、周りを巻き込んで、大きな増強の輪を広げていく事、増強は楽しい、と思える運動にする事。その2点にこだわりを持ち、1,000名達成に向けて活動します。静岡同友会、新たな出発を宣言します。

藤原 博美氏(㈱日本ベルト工業・代表理事)

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京都同友会の小泉氏から、「多くの会員の手による機関誌づくりをめざして」と題し報告がありました。京都同友会では、2010年2月に広報誌を月刊化し、機関誌と位置づけます。その狙いは、タイムリーな情報の発信、誌面の一新、会員の登場機会の増加、役員主導の事業案内の作成です。月刊化以前に3~5名程度だった広報委員会参加者は、各委員会との連携もあり急増し、今期の平均出席率は政策40%(55名)、広報60%(54名)、組織60%(102名)となりました。また、機関誌の各号執筆者も、4月38名、5月26名、6月20名、7月25名となり、多くの会員が積極的に広報に参画するようになりました。

「対外広報、戦略的な発信をしていますか?」をテーマに行ったバズセッションでは、各県の発信状況や現状について意見が交わされました。その後、加藤委員長は、それぞれの経営課題を軸にして多くの会員を機関誌づくりに巻き込む事や、多くの方が広報に関わると例会も良くなる事、自社の経営課題について議論することで課題を解決できる事の他、各委員会の連携の重要さや、同友会を深く理解した人が広報に携わる事の必要性を挙げ、まとめました。また、座長の貞池副委員長は、何の為の広報なのかを「自主・民主・連帯」を軸として議論する事が大切である事、広報には支部の運営の仕方まで変える力がある事、会員訪問→情報発信→組織強化に繋がるという事をまとめとして述べました。

今回の委員会では、広報の役割や可能性について学ぶ事ができ、とても刺激を受けました。これからの広報は、他の運営系委員会との連携が不可欠だと感じます。また、同友会運動を外部に発信する「機関誌」をつくる、という事を念頭に置き、同友会を深く理解し実践する会員を巻き込んで活動することが大切だと痛感しました。

中同協広報委員会は年に2回あり、次回は来年2月20日に東京で開催されます。また、来月の10月23・24日は、愛媛で「全国広報・情報化交流会」が開催されます。静岡同友会における広報の位置付けを考えるきっかけになるので、運営系委員をはじめ多くの皆さんに参加して頂きたいと思います。

青山 達弘氏(県広報情報化委員長 ㈱青山建材工業・静岡支部)

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7月25日に同友会事務局にて中部ブロック役員研修会、8月28日に磐田商工会議所にて西部ブロック役員研修会が開催されました。本研修会では、県副代表理事の佐野譲二氏(㈱和泉運送・富士支部)、河原崎信幸氏(シンコーラミ工業㈱・富士宮支部)、鈴木雅夫氏(㈱ハチマル・榛原支部)が、同友会理念形成の歴史や会の存在意義、自社における同友会理念の総合実践、同友会における役員とは何かについて報告しました。今回は、中部ブロック参加者から宮本浩氏(大栄工業㈱・志太支部)、西部ブロック研修から竹山城次氏(竹山社会保険労務士事務所・磐田支部)に感想を頂きました。


役員になって初めてこの研修に参加させていただきました。正直なところ、志太支部からの参加は私一人だけで、最初は非常に居心地が悪かったです。でも、お二人の先輩の同友会活動の歴史や、同友会役員の役割等についてのお話が非常に素晴らしかった!

㈱和泉運送の佐野譲二氏からは「良い会社、良い経営者とは、社員が一生ついていきたいと慕われることだ。そのためにも経営者は広い視野を持ち、自分自身の生きざまを社員にしっかり見せなければならない」、またハチマルの鈴木雅夫氏からは、「仕事で忙しいは言い訳にならない、忙しい人ほど活躍している、仕事は忙しい人に頼むことだ」との事。このお二人の言葉が強く印象に残り、忙しさにかまけて視野が狭くなっていた自分にとって大きな反省でした。

最後に、鈴木氏からの一言。「自分より優れていると思った人達とお話するときは確かに居心地が悪い、でも居心地の良い所ばかりに居ると人は成長しないよ」。やはり、居心地が悪くても積極的にこのような役員研修会や全国の大会に出て、全国の同友会の素晴らしい方々とお話をするべきだと改めて思いました。皆さんも是非!

宮本 浩氏(大栄工業㈱・志太支部)

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今回役員研修に参加してみて、あらためて同友会らしさを体験出来ました。「よい会社というのは、従業員が夢を持てる会社である。従業員に、最後までこの会社で働きたいと思ってもらうことである。具体的には若い人が結婚したり、家を建てたり出来るような待遇を構築すること」とのことでした。給与の決定や昇給なども、経営者の目先の視線だけで行ってしまいがちですが、従業員一人ひとりの人生を背負っている責任の重さを感じれば、もっと違う数字が出てくるのかな、と思いました。

また、「同友会の役員会の運営を、会社の経営会議・役員会議の運営だと思って臨め」ということでした。確かにどんな会議であっても真剣に臨めば、自分自身にプラスなって返ってくるはずですし、何事も無駄なことはないと思いました。このことはすぐに実践できそうな気がします。

まだ自分が経験していないことを、先輩や仲間達から聞いて自分の糧にする、それが同友会らしさであると感じました。

竹山 城次氏(竹山社会保険労務士事務所・磐田支部)

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家業を継いで16年、最初の5年は順調に推移していましたが、その後取引先の倒産により大きな負債を抱え、リーマンショック後は取引先廃業により売上半減、仕事仲間や同業者も廃業。子供たちの大学進学もあり、何とか踏ん張ろうと思うも効果的な取り組みもなく、目先の売上だけを追う日々に、倒産の危機感を抱きながら過ごす後ろ向きな気持ちの毎日。そのような折、永年のお客様である望月宣典氏に、同友会にお誘い頂きました。そして、経営指針や理念など言葉も知らない状態ながら、何とか生き残り存続しようという思いと、永年働いてくれている職人社員や妻から「今後どのような会社にするのか示してくれ!勉強してこい!」と背を押された事から、入会と同時に創る会9期に参加しました。

受講当初は、なぜ当社を選んでくれるのかという問いに「不景気そうで情けで発注してくれる」と答えるほど後ろ向きでした。また、受講すればするほど、自分は今まで何をしてきたのか?何業をしてきたのか?何者なのか?とふりだしに戻ってしまいました。自社事業の在り方(定義)と我が社の強みが全く見えていませんでした。卒業当日まで受講会場への足取りを重く感じ、曖昧な気持ちで受講している自分がいました。

その後、卒業前日のメモやこれまでに成してきた工事の業績・実績等の書き出しを改めて真剣に見直し、経営理念シートを見つめました。すると、私も社員も人に対し思いやりや感謝の気持ちを持って細やかで丁寧な対応、丁寧できれいな仕上げができる、これこそが我が社の強みであり、我が社の事業は安全・快適を創造し解決する提案・提供業である、という事が明確に浮き上がってきました。そして、やっと事業展開の戦略等を考えられるようになりました。

真に経営理念は自分の生き様だと思います。お客様、社員さん、家族、地域の人達、関わる全ての人の笑顔の輪の数を増やす事、輪を大きくする事を使命とし、「究極、人に対して如何に本気になれるか」を肝に銘じて、ワクワクするような展開を持続的に実践できるよう前進していきたいです。

経営指針を創る会9期卒業生 海野 敦氏(海野サッシ商会・静岡支部)

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関口泰子氏(三和インターナショナル㈱)は、研修会社の代表であり、東京のオフィスを基点に、ビジネスマナーなどの研修業務を展開しています。スタッフは全員女性で、インストラクターとして会場に出向き、仕事をしています。

今回は、平成3年に東京丸ビルの一室をオフィスに事務代行業を起業した事から、今日の事業展開まで、波乱に満ちた時代の中、様々な苦難を乗り越えてきた報告でした。

「自社の女性の特性を活かして戦力化していますか」をテーマに行ったバズセッションでは、「幾多の困難をくぐり抜けてきた関口さんの逞しさを感じた」「女性の目線を仕事に取り込むことはとても重要で大切なこと」「気配りについても女性はすごい力を持っている」などの意見や感想が上がりました。

経営環境や経済の移り変わりの中で、ビジネスにも機転を利かせた対応を求められることがよくありますが、関口氏の報告から、感のよさ、ココというときの決断力、そして実行力を感じることができました。

水田 裕文氏(㈱トライ・カンパニー・沼津支部)

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